スタートは南海電鉄堺駅
 さて、年も改まって2019年1月。
 お正月休みでちょっと余裕が出来たので、歩きに行こうという話になりました。
 東海道のような長期戦は無理ですが、近場ならということで、
西高野街道
を歩いて見ることにしました。

堺市のマンホール

堺市のマンホール
「南蛮船」
 真言宗の聖地、高野山。高野山への参詣は、平安時代後期から盛んになったそうです。
 その高野山への道として高野街道が成立。江戸時代には四つの高野街道がありました。
 

堺市のマンホール
「堺港灯台」

大道筋
(紀州街道)
阪堺電鉄の線路が通っています。
 今回はそのうちの一つ、西高野街道を歩いて見ることにしました。
 西高野街道の起点は、堺の大道筋と大小路との交差点で、途中で竹内街道(日本最古の国道と言われる)と分岐して南東へ伸び、河内長野で東高野街道と合流し、紀見峠を経て高野山に至りました。
 この街道は京から淀川を下り、八軒家で上陸、天王寺、住吉さんを参詣して高野山を目指す人々や、西国から船で堺までやって来た参詣者が利用しました。

こちらは大小路
東高野街道の起点で、摂津国と和泉国の
国境でもありました。

百福さん
 さて、今回も踏ん切りわるく、朝ぐずぐずしていたので、堺駅に到着したのは昼前になってしまいました。
 東海道の経験から、腹ごしらえを先にしようということで、近くにあったうどん屋さんで昼食にしました。
 開店と同時に入ったのですが、すぐお客さんで一杯になりました。
 すごくおいしかったです。

ミニ天丼

かけうどん

大小路橋交差点
上を阪神高速堺線が走っています。
 さて、大小路を東に歩いて大小路橋交差点の歩道橋を渡ります。
 市役所の前を通って堺東駅前までやってきました。
 ここも20年くらいまではものすごい人出だったのですが、今ではすっかり地味になりました。

堺東駅前

地蔵堂
 堺市役所を横目に見ながら大きな道から斜めに小道を歩くと地蔵堂があります。
 街道はここで左に折れて南海電鉄高野線の踏切を渡ります。

高野線の踏切

道はゆるやかなのぼりです。
 この辺りは榎元町です。ゆるやかに丘陵を上っていきます。
古い商家?

榎宝篋印塔
(えのきのほうきょういんとう)
慶安元年(1648年)に僧・夢幻永海が
願主となって建てた塔です。
  街道左手に石塔がありました。
 そこからしばらく歩くと、右に永徳地蔵がありました。
 竹内街道との分岐にほど近いお地蔵さんの横に里程石が立っていました。

永徳地蔵
左側に里程石が立っています。

里程石
安政4年3月(1857年)建立
是より高野山女人堂江(へ)十三里
御影石製
 堺から高野山女人堂までの道中には13本の里程石が立てられています。 
 発起人は河内国茱萸木(くみのき)村(現:大阪狭山市)の百姓 小左衛門と五兵衛さんでした。
 施主は加賀田村(現:河内長野市加賀田) 伊左衛門、久左衛門、源兵衛、庄左衛門さんです。
 ここから一里ごとにこの石標が立っています。

ここが街道の分岐点

左が竹内街道
右が西高野街道です。
 竹内街道との分岐を過ぎると、先ほど越えた高野線を再び耳原橋で越えます。
 大きな道路(大阪中央環状線、国道310号と府道2号線の交差点)を歩道橋で渡ります。

耳原橋で高野線を渡る

仁徳天皇陵
 歩道橋の上に立つと、目の前に大きな丘が見えます。
 これがかの有名な仁徳天皇陵です。面積でいうと世界最大のお墓なんだとか。その巨大さはぜひ現地でご覧ください。


JR阪和線
 仁徳天皇陵を過ぎると街道は国道310号線になってます。
 しばらく行くとJR阪和線をまたぎます。
 ここには三国ヶ丘駅がありますが、三国ヶ丘(みくにがおか)の地名は、ここが摂津・河内・和泉の三国の国境が接していたことに由来します。

石田家長屋門
 三国ヶ丘駅付近は街道は失われています。
 しばらく国道を歩いて堺市の上下水道局横を入ってしばらく行くと、街道に戻ります。
 さらに街道を進むと住宅の裏に大きな山がありました。

住宅の裏になにやら小山が!

なんと古墳でした。
御廟表塚古墳
 見に行ってみると、なんと古墳でした。
 周辺の宅地開発が進んで環濠と前方部が失われているそうですが、地中レーダーでは埋葬物があるそうです。
 古墳の横には立派な長屋門と楠木がありました。
 長屋門は筒井家の屋敷門で、江戸時代初期にこの辺りを新田開発した筒井家のお屋敷だそうです。
 筒井順慶の子孫だと言われていますが、詳細はわからないそうです。

大阪府指定天然記念物
百舌鳥の楠木
江戸時代初めから霊木として
信仰されていたそうです。

楠木の奥には筒井家長屋門
(江戸時代中期)
令和元年11月に登録有形文化財
になったそうで
 街道は中百舌鳥駅の近くを通り、中百舌鳥小学校で国道310号線に出ます。
 目の前は大阪府立大学中百舌鳥キャンパスでした。
 しばらく国道を歩いて再び脇にそれます。白鷺公園近くを通過、泉北高速鉄道の高架をくぐります。

星谷池

街道の様子
 星谷池を過ぎてしばらく行くと、十二里石がありました。
立派な民家

十二里の里程石と地蔵堂
是より右 高野山女人堂江十二里
 高野山女人堂まで十二里を示す石碑です。
 これも発起人は河内国茱萸木(くみのき)村(現:大阪狭山市)の百姓 小左衛門と五兵衛さん。
 施主は、関茶屋新田 (判読不明)
 世話人は、喜兵衛、平兵衛です。
 十二里石を過ぎて府道199号線との交差点角に、雨ざらしの薬師如来像がありました。

薬師如来
「東 ふじい寺 なら 道」
とあります。

惟妙寺
 さらに街道を南下すると、右手に惟妙寺。
 そのすぐ南に阪和自動車道の高架がありました。 

阪和道の高架下を通過します。
西高野街道を行く つづく
2020.5.5作成
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