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![]() 右 わか山 大坂 左 かうや(高野) 当町開祖 應其上人旧蹟 |
さて、GWに突入しました。各地の渋滞情報を尻目に、我々は電車移動です。 とりあえず本日のゴールは橋本市。そこに車を停めておいて、電車でスタート地点に移動します。 |
![]() 橋本市古佐田の旧家 国道拡張工事で、この辺りも すっかり風情がなくなりました。 |
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![]() 橋本駅にて 南海電鉄高野線の観光列車 「天空」 |
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![]() 高野街道の碑 |
南海電鉄高野線で河内長野駅に到着。高野街道の旅を再開します。 | ![]() 河内長野駅到着 |
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![]() 吉年(よどし)邸の大楠 伊勢神戸藩の郷目付と大庄屋を務めた家柄で、 享保3年(1718年)に河内鋳物108人衆 田中家から事業を引き継いで、 現在に至るそうです。 |
今日は天気がよくて、暑くなりそうです。 河内長野駅前を出て長野神社の脇を通ります。 |
![]() 昭和なお宅 円い窓がおしゃれです。 |
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![]() 河内長野市のマンホール |
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![]() 西條合資会社 |
享保3年(1718年)創業の酒蔵の前を通ります。 建物は國登録の文化財に指定されているものです。 |
![]() 天野酒というお酒を造ってます |
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![]() 街道らしい風情が残ってます。 |
西條合資会社を過ぎて道は左に曲がり、石川にかかる旧西條橋を渡ります。 坂を登ると国道371号を横切り、別久坂を登って烏帽子形山の麓にやって来ます。 |
![]() 別久(びつく)坂へ向かいます。 |
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![]() 右 かうや道 |
烏帽子形山の中腹には、烏帽子形八幡神社がありました。 道中安全を祈願してお参りします。 |
![]() 烏帽子形八幡神社 |
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![]() 神社本殿 |
この神社の上には、かつて烏帽子形山城があったそうです。 河内守護畠山家との関係が深く、室町時代の文献にもよく登場するそうです。 この辺りは戦国時代、キリシタンが多く、教会もあったそうです。 |
![]() 解説板 |
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![]() ものすごい急な石段なのです。 |
お参りもすんで、急な石段をおっかなびっくり下ります。 再び街道を歩き始めます。 歩道橋で国道371号線を越えていくと、T字路に出ます。 これを右に曲がると左手に旧三日市交番の建物がありました。 |
![]() むくり屋根の町屋 |
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![]() 旧三日市交番 |
この建物は昭和29年に建てられたもので、平成19年まで現役だったそうです。 今は河内長野市の指定文化財です。 |
![]() 街道はまっすぐ続きます。 |
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![]() 天見川を渡ります。 |
街道は間もなく天見川を越え、三日市宿に到着します。 三日市宿は高野街道の宿場町で、旅籠が30軒ほどあり、油屋が本陣を務めていたそうです。 |
![]() 三日市宿に到着 |
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![]() 三日市宿 |
三日市には宿場らしい建物が残っていました。 街道でも有数の見所ではないでしょうか。 |
![]() 三日市宿 |
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街道は三日市駅の駅前にでます。この辺りは駅前ロータリー工事で面影はありません。 駅前広場に楠木正成の像がありました。 |
![]() 幼少の楠木正成の像 大江(毛利)時親は、安芸毛利氏の祖 若き楠木正成に兵法を教えた という伝説があります。 |
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![]() 駅前にあった常夜灯 |
駅前広場を過ぎると街道はまっすぐ続いています。 これは明治になってから整備されたそうで、本来は曲がっていたそうです。 |
![]() まっすぐ続く街道 |
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![]() 年代物の自動販売機 |
八里石を見つけました。高野山女人堂へ八里(32km)です。 ここを過ぎると、街道は国道371号線に合流します。 |
![]() 八里石です。 街道付け替えにより、 当初の位置からは移設されています。 |
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高野街道をゆく 続く | |||
2020.6.7作成 | |||
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