国道を外れて旧道へ
 高野街道はやがて国道371号線に合流します。
 新町橋交差点を過ぎたところで再び国道を外れます。

街道らしい風情です。

むくり屋根のお宅
 石仏寺を過ぎて切り通しの道を過ぎて再び国道へ。
 かつての街道は天見川に向かって鳥居坂と呼ばれた急坂を下ったそうなんですが、道路整備が進んで面影はなくなっていました。
 川へ下る方法もよく分からなかったので、そのまま国道371号線を歩きました。
 少し国道から外れたり戻ったりしながら歩きます。

切り通しの道

太神宮常夜灯
下には道標があります。
右 かうや(高野)の文字が
 天見の簡易郵便局の交差点からl国道を大きく外れ、千早口の駅の方へ坂を下り、天見川を渡ります。役には向かわず右にカーブしていくと、左に石灯籠が立っていました。
「弘法大師おたいまつの木」碑
明治28年5月のもの
弘法大師が持っていた松明を
地面に刺したところ、大木になったという
伝説があるそうです。

七里石
高野山女人堂江七里
安政4年
 街道は再び国道に戻り、しばらく歩くと右手に七里石がありました。
タケノコ

古い民家
 天見小学校の近くで小さく国道から外れ、また国道に戻り、歩道もな国道を一列で歩きます。
 幸い、時折車列が追い越していく位の交通量でした。

歩道がないのが怖い

旧道を歩きます。
 出合の辻交差点を過ぎて再び街道は国道を外れます。
 国道を横切るように天見川の方へ石段を下ります。
 この斜面に再び大神宮常夜灯が立っていました。

寛政二年(1790年)の常夜灯

立派なお屋敷がありました。
長屋門の前にある石垣の間が、
かつての高野街道だそうです。
 天見川を渡って安明寺を過ぎると道が三股になっています。
 どうも高野線の旧線を歩いたようで・・・畠のようなところを横切り、道は林の中へ・・・
 道がなくなってしまいました。
 使用禁止橋をおっかなびっくり渡って天見川を再び渡り、なんとか国道に戻りました。

南海電鉄高野線の旧線
かつてこの辺りの高野線は単線でした。

高野線の変電所跡
 南海電鉄高野線の変電所跡を左に見ながら交通量の多い国道を歩きます。
 程なく紀見トンネルへと続く国道と、峠越えとなる旧国道の分岐点につきます。
 もちろん、旧国道を歩きます。

結構交通量多い

旧道
まだ国道指定は外れてないようです
 高野街道はほぼ一直線に峠を目指すのですが、現在は立ち入り禁止になっていました。
 仕方がないので、自動車用の曲がりくねった旧道を歩きます。

これが高野街道の旧道
フェンスがあって入れません。
廃道になっているようです。

というわけで曲がりくねった国道を歩きます。
 うねうねと旧道をだらだらと登っていきます。
 と、道が二手に分かれているところにでました。

国道と街道

和歌山県に入りました。
 ここが紀見峠で、和歌山県と大阪府、古くは紀伊国と河内国の国境でした。
 道脇に六里石が立っていました。

六里石
高野山女人堂江六里
安政4年のもの

紀見宿跡
 ここ紀見峠には宿場があり、6軒の旅籠があったそうです。
紀見出身の数学者
岡 潔 の記念碑

紀見宿
 現在は数件の民家があるばかりの紀見を通過し、下りに入ります。
下り坂

ものすごい急坂です。
 街道はやがて国道を横切ります。

おわかりいただけますかね?
この急坂
 が、そこからはさらなる急坂が待ち構えていました。
 膝にかかる負担がものすごいです・・・・
 この坂は急過ぎて馬も転がってしまうと、
「馬転がし」「馬転かし坂」と呼ばれていたそうです。

坂の下が見えないほどの急坂です。

ようやく緩やかな坂に
 街道はやがて柱本の交差点で国道に出ます。
 国道から少し外れるようですが、国道をそのまま進みます。

広くなった国道371号線

大師堂
 大師堂の角で再び国道を外れます。
街道をゆく

昭和11年の貯水槽?
昭和が歴史になりつつあります・・・
 集落抜けると田園風景が広がります。
 山裾には蛭子神社が見えました。

田園風景が広がります。

地蔵堂
 急坂を下って国道を横切りました。
 地蔵堂を見ながらさらに下ると、五里石がありました。
 ここから南へ300mのところにあったそうですが、道路拡張の際に移設されてきたそうです。

五里石
是ヨリ高野山女人堂江 五里
コンクリートで継がれてて、
少々痛々しい・・・

テントウムシがいました
 橋谷大橋の高架手前で再び国道を外れます。高架下をくぐり、正面に石垣を見ながら坂を登ります。

お地蔵さん
 明治39年に立てられた忠魂碑を見ながら街道を南下します。
忠魂碑

小原田の常夜灯
天保5年(1834年)建立
 御幸辻を通過して小原田の常夜灯を見ながらさらに歩いて行きます。
 ここからはなんの見所もなく、疲れもピークでぐだぐだと歩きます。

漆喰の落ちた蔵

JR和歌山線の高架
 南海高野線とJR和歌山線の高架をくぐりました。ようやくゴールが見えてきました。
 大和街道との交差点に来ました。懐かしいですねえ。大和街道を歩いていたのも今ぐらいの季節でした。

大和街道
和歌山方面

大和街道との交差点にある道標
 東家の四つ辻に懐かしい道標が立っていました。
 右 かうや
 左 京大坂道
ここを北に向かえば京・大坂、東に向かえば伊勢・奈良・吉野、西に向かえば粉河・和歌山、南は高野山、交通の要衝でした。
 かつては旅人で賑わったことでしょう。
 

常夜灯
 ようやく今日のゴールにたどり着きました。紀ノ川のほとりに立つ常夜灯です。
 紀ノ川の渡し場に立てられた常夜灯で、文化11年(1814年)のものです。この横に四里石があった見たいですが、気がつかなかったようです(笑)
高野街道をゆく 続く
2020.6.21作成
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