河内長野市のマンホール
 2020年の正月。
 我々は新たな街道を歩くべく、河内長野市にやって参りました。
 その街道の名前は
「東高野街道」
 現在の京都府八幡市で京街道から分岐し、高野山を目指して南下。
河内長野で西高野街道と合流する街道です。
 今回、我々は河内長野から、京都府八幡市を目指して北上します。
河内長野駅から北に歩き、地蔵尊の辻を右に曲がると菊水町の交差点。
南海高野線のガードをくぐって左に折れます。

大神宮常夜灯
 近鉄長野線の踏切を越えて旧国道170号線を歩いたり、脇道に入ったりしながら北上していきます。
 住宅地へのアクセス道路を歩いたりしますが、道はうねうねと続いていきます。

大神宮常夜灯

孝子地蔵
母娘で西国巡礼中に倒れた母を
解放した娘にまつわるお地蔵さんだそうで。
 小高い丘を越えての下り坂の途中に孝子地蔵があり、地元の方が解説板を立てていました。
 さらに下って行くと、再び近鉄長野線を越えます。

近鉄長野線

富田林市に入りました。
背景がラブホって・・・
風情なし
 歩道のない旧国道170号線を歩いて行くと富田林市に入ります。
 しばらくすると一里塚がありました。

錦織一里塚
承応二年(1653年)の石碑があるそうで、
塚はそれ以前からあったと考えられています。

脇道に入ります。
 旧国道170号線を外れて近鉄長野線を越えると、すぐ右の脇道に入っていきます。
 滝谷不動駅近くに道標がありました。
 槙尾山という西国三十三カ所の第四番札所、施福寺のある山への道標です。

滝谷不動駅近くの道標
すぐ(まっすぐ)槇尾山

すぐ(まっすぐ)槇尾山
とあります。
発起 施主は
神南辺
 滝谷不動駅は滝谷不動明王寺最寄りの駅。
 弘法大師ゆかりの寺で、創建は821年にさかのぼるとか。

大峰三十三度満願碑
万延元年(1860年)のもの
大峰山に33回登ったの??

富田林市のマンホール
 細い路地のような道を抜けて歩いて行きます。
 国道309号線を高架で越えてまだ歩きます。

細い路地を抜けていきます

川西駅の高架下をくぐって振り返ったところ。
 やがて街道は下って川西駅の高架下をくぐります。
大神宮常夜灯

臼石を埋め込んだ石垣
谷川町転用石
 道はやがて枡形の折れを通って懐かしの富田林寺内町へと入っていきます。
寺内町への入口

道標
 相変わらずいい雰囲気の街でした。

興正寺別院
 今回は街道旅の途中なので足早に通り抜けます。
煙出し
 出来ればまた来たい街です。
常夜灯

大神宮常夜灯
 この辺りは伊勢にも近いので、大神宮の常夜灯がそこかしこにあります。
 道はやがて旧国道170号線と合流します。
 喜志小学校付近で再び国道を外れます。
 南阪奈道路の高架下をくぐって、城山交差点で再び国道と合流します。

右 京
左 大坂
の道標

高屋城跡
 道はやがて高屋城の真ん中を縦断します。
 高屋城は室町幕府三管領のひとつ、畠山家の居城です。
 文献では応永年間(1400年頃)、畠山基国が管領となったときに築かれたそうです。
が、実際には文明11年(1479年)に畠山義就が築城したようです。
 この城の特色は、安閑天皇陵とされる古墳を大胆にも本丸にしてしまったところです。
その頃はあんまり祟り?とか気にしてなかったのでしょうか?興味のあるところです。
 畠山家は内訌の多かった家で、この高屋城の城主も頻繁に変わっております。
 元亀4年(1573年)、畠山秋高は足利義昭と織田信長が対立した際、信長に味方したため、家臣の遊佐信教に攻められて自害しています。
 遊佐信教は三好康長と手を組んで信長に抵抗しますが、天正3年(1573年)に織田方に攻められて高屋城は落城、そして廃城となりました。
 現在、本丸は天皇陵のため立ち入り禁止。二の丸以下は住宅街になっています。
 東高野街道は本丸の東側を回り込んで坂を下っていき、大乗川を渡ると古市市街へと入っていきます。

 なんと古墳を本丸に

驚きです。
今は宮内庁管理で立ち入り禁止です。

左 大和路
 古市も歴史のある街で、街中を東西に竹内街道(日本最古の街道と言われる)が走っています。
 東高野街道との交差点に、大きな道標が立っていました。
 嘉永元年(1848年)の道標だそうです。

右 大坂

間もなく誉田八幡宮
 古市市街を抜け、近鉄南大阪線を渡って国道170号線を越えると誉田八幡宮があります。
 記録に依れば、559年に欽明天皇によって創建された最古の八幡社だそうです。
 例の畠山家のいざこざで社殿などを焼失しましたが、豊臣秀頼により慶長11年(1606年)に本殿などが再建されて現存しています。
 拝殿の仕上げ中に豊臣家が滅亡したため、内部が未完成なんだとか。
 よく、道明寺の合戦に巻き込まれなかったものです。

左 いせ
の道標

誉田八幡宮
 この日は1月3日ということもあって、初詣の参詣客がひっきりなしに訪れていました。
 道標を見ながら右へ街道はカーブしていき、国道170号線を越えて西名阪道の高架をくぐります。

本殿

道標が立ってました
左 八尾 きゅうほうじ
右 どうみょうじ なら 京


道明寺
 高架を過ぎてしばらくいくと、道明寺がありました。
 門前にパン屋さんがあったので、パンを買ってお昼ご飯にしました。
 けっこうおいしかったです。

パン屋さん

道明寺の山門
 昔、この辺りは土師氏の根拠地だったそうで、土師氏は菅原氏の先祖なんだそうで、菅原道真ゆかりのお寺なのです。
 「道明」は菅原道真の号なんだそうですよ。
 例の「高屋城合戦」にも巻き込まれて消失したりしていますが、再建されてます。
あと、この辺りはかの有名な「道明寺の戦い」の戦場になりました。

国府八幡神社
 ここで我々は大きくコースをロスト。
 なぜか住宅街の中へ迷い込んでしまいました・・・
東高野街道をゆく 続く
2021.1.2作成
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