伝 和田賢秀 墓
 和田賢秀の墓と伝わる場所がありました。
 和田賢秀は南北朝時代の武将で、楠木正季の子。楠木正成の甥に当たります。
 いとこになる楠木正行に従い、各地を転戦しています。
 正平3年(1348年)正月に四條畷の戦いで敗れ、楠木正行らが自刃した後、高師直の陣に潜入。しかし、かつて味方だった湯浅本宮太郎左衛門に見破られて討ち取られました。
 その際、相手の首に噛みついて離さず、湯浅はそれが元で亡くなったとされ、賢秀は「歯噛さま」転じて「歯神さま」と呼ばれるようになったそうです。

四條畷市のマンホール
 道ばたに道標がありました。
 清滝街道は大坂と斑鳩町龍田を結んだ街道です。
 生駒山地の清滝峠を越えていきます。
 この日は成人式らしく、着飾ったお兄さんたちが歩いてました。

右 清瀧街道
すぐ(まっすぐ) 東高野街道の道標

寝屋川市に入ります。
 忍ヶ丘駅周辺は再開発が進んでいて、旧街道が消滅していました。
 暗いJR学研都市線(片町線)の高架下をくぐります。
 狭い生活道路(府道ですが)を抜け、小さい川を渡ると寝屋川市に入りました。

寝屋川市のマンホール

四つ辻の道標
東 奈良 いせ 道
南 かうや(高野) のざき 大坂 みち
安政4年に酒屋の勘兵衛さんが
父母のために建立したそうです。
 道はすれ違いできない細い道になり、緩やかな登りになりました。
 やがてJR寝屋川公園駅を切り通しを越えて細い道に入っていくと、四つ辻があり、道標が立っていました。
 ここは奈良街道と東高野街道の交差点だったので、この道標が建てられたようです。
 ここで街道をちょっとだけ外れまして、スーパーのイートインでお弁当食べました。

解説板もありました。
 府道20号線を歩きまして、HONDAのお店手前を旧道に入ります。
 ここは交野市との境が街道になってました。

ここを斜めに入ります。
道路の右側が交野市です。

大谷地蔵堂の灯籠
 大谷の集落内は旧街道の雰囲気が残っていました。
この辺りは細い道が続きます。

小さな社
 榜示川のほとりに小さな社がありました。
 榜示川を越えると交野市
間もなくJR星田駅に到着します。

大井川廃寺?の碑

交野市のマンホール
 星田駅の高架下をくぐると田んぼの中の道になります。
 間もなく第二京阪道路の高架が見えまして、枚方市に入ります。


本尊掛松の道標
 高架をくぐってホームセンターコーナン過ぎると旧道に入ります。
 旧道入口に半分埋もれた石碑がありました。
 さらに進むと三股があり、そこには道標が立っていました。
 ここは私部方面へ向かう山根街道と東高野街道の追分でした。
 細い街道を進むと、小さい公園がありました。
 ここは「本尊掛松遺跡」です。
 ここには上人松と呼ばれた松の銘木がありましたが、明治30年頃枯れたそうで、今は新しい松が植えられていました。
伝えられるところによると、1321年に融通念仏宗中興の法明上人が、男山八幡の霊夢を受け、深江の庵室(現:大阪市 法明寺)より、 東高野街道を男山に向かう途中、ここで同じ霊夢によって天得如来を奉じて深江に詣でる途中の八幡宮よりの使者に出会い、十一尊天得如来画像を授けられたそうです。
 法明上人は歓喜のあまり尊像を傍らの松に架け、称名念仏を唱え踊りだし、これが融通念仏宗の念仏踊りの始まりなんだそうです。
 「本尊掛松」の名はこの画像をかけたことに由来するそうです。
 遺跡を過ぎると、やがて新しい国道168号線に出ます。
 国道を横切って天野川沿いを歩き、新天野川橋を渡ります。

上ノ山辻の石碑
右 山根街道 私部
すぐ(まっすぐ)東高野街道


同じ場所にもう一つ石碑が
大峰山道
右 宇治
左 京 八幡

(右側面に)
左 高野山 大坂 道

本尊掛松遺跡

交野市のマンホール
 川を越えたところは交野市の北西部になります。
 道はやがて京阪電鉄交野線をまたぎます。
 郡津(こうづ)駅近くで道は旧道に入ります。
 この辺りは古くからの集落のようで、いい雰囲気でした。
 

交野線

枚方市に入ります。
奥に見えるのは村野浄水場
 集落を抜けると川があり、府道18号線に合流して出鼻橋をわたります。少し歩くと枚方市に入りました。

出屋敷入口
 単調な府道18号線を黙々と歩きます。あまりに単調なので、歩くのがいやになって来たころ、出屋敷集落にやって来ました。
 解説板によれば、枚方市内で東高野街道が集落を通っているのはここだけなんだそうです。
 いい感じの集落でした。間の宿みたいな感じだったのでしょうか?

出屋敷内

ニトリモール枚方付近
 出屋敷を抜けると府道144号線とぶつかり、街道は右に折れます。 
 川を渡って左に折れるとラブホテル街で、自転車に乗った高校生らしきカップルが昆布のれんの向こうに消えていきました。
 最近の高校生は金持ちですな(そこ?)
 まもなく国道1号線に出ます。またも退屈な道が続きます・・・

高野道バス停
 片側三車線の立派な国道が続いて、旧街道の風情などみじんもありません。
 ようやく旧道へと入りましたが、宅地化が進んでおりまして、普通の住宅街です。
 と思ったら街道の名残を見つけました。
 「高野道」バス停です。
 地名に名残が残っているんですね〜

洞ヶ峠
 住宅街の道を登っていくと、いきなり住宅街が切れました。
 ここが河内国(大阪府)と山城国(京都府)との国境、洞ヶ峠です。
洞ヶ峠といえば、羽柴筑前と明智日向がぶつかった天王山の合戦のとき、大和の土豪であった筒井順慶がここに陣を引いて様子見を決め込んだ場所として有名ですね。
東高野街道をゆく 続く
2020.4.25作成
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