東寺
 2020年もも2月になりました。
 世間はコロナで大騒ぎ、横浜港にクルーズ船が入港していた頃、
我々は京都にやって来ました。
 海外からのお客さんも少なくなった京都駅八条口から東寺を目指して歩きます。
 近鉄京都線の高架をくぐると間もなく東寺です。

五重塔
 東寺は真言宗の総本山。
創建は延暦15年(796年)で、平安京とともに築かれたお寺でございます。

南大門と五重塔

羅城門バス停
 お寺参りかと問われればさにあらず。
 何しに来たのかといいますと・・・

矢取地蔵尊
空海暗殺を狙った矢を黒衣の僧が
身代わりに受けた。
実はその僧は地蔵尊だったとか

羅城門跡
 羅城門跡までやってきました。
 羅城門と言えば芥川龍之介の小説(元ネタは今昔物語)なんかも有名ですが、平安京の正門でございます。
 かつて日本の街道はすべてここから発していたのです。

解説板
今は小さな公園になっています。

町屋
 で、今回は西国街道を歩こう!ってなもんで、やって来た訳です。
 ここから遙か下関を目指す・・・はずです。(とりあえず行けることまで)

京都と言えば天下一品
九条店

京都市のマンホール
 早くも街道のトレースに失敗してます。
 桂川を越えて国道171号線沿いを歩いて行きます。

桂川を渡ります。
久世橋

栗生光明寺道の碑
光明寺は長岡京市にあるお寺で、
西山浄土宗のお寺。
開基は建久9年(1198年)
法然が初めて「念仏」の教えを説いた場所です。
 久世殿城交差点から国道をそれてJR向日町駅に向かって歩きます。
 街道がJRで消滅しているので、JRの下を地下道でくぐって向日町駅前に出ます。
 JR向日町駅は京都府下で初めて出来た鉄道駅で、開業は明治9年です。
 深田橋(かつては公儀橋(幕府管理の橋)のたもとに碑が移築されてきてました。

解説板
是より西30町(約3km)に光明寺
明治33年建立
豊前小倉(北九州市)の人々の寄付で出来たそうです。
元はJR向日町駅前にあったそうです。

右 一文橋 山崎
左 深田橋 京
 阪急東向日駅近くの王将でお昼ご飯。
 王将のすぐ近くに道標がありました。
 道標の向かい側には常夜灯がありました。
 築榊講(つきさかこう)の常夜灯で、天保13年(1842年)の建立。
 築榊講は伊勢講の一つで、現在も活動されているそうです。

常夜灯

街道の雰囲気を今に残します。
 西国街道は元々律令時代に整備された街道でしたが、豊臣秀吉による朝鮮出兵の際にも街道整備が行われました。
 向日町の町場はその頃から続く古い町です。

右から 大原野神社 (大正九年)
中右 桓武天皇皇后高畠陵
中左 ぼだい?
左 不明
 向日町はずっといい雰囲気の道が続きます。
再び常夜灯
 曇りがちで日が差さず、寒くなってきました。

須田家住宅
明治30年頃まで醤油の醸造販売していたそうで、
その歴史は元和年間までさかのぼるそうです。
 向日神社は建治元年(1275年)成立の神社で、本殿は応永25年(1418年)建立だとか。
向日神社鳥居

道標
右 栗生 善峰 柳谷 方面
左 長岡 山崎 大阪 方面
 五辻までやって来ました。
 元々四辻と呼ばれていた場所に、昭和7〜8年頃に新道ができたことから五辻と呼ばれるようになったそうです。
 

五辻の常夜灯
慶応元年 建立
 五辻を過ぎた辺りから道は緩い下りになります。
 やがて府道67号線に合流して阪急京都本線の高架下をくぐります。
 小井川を渡って街道は続きます。

小井川にかかる橋

向日市のマンホール

宿場っぽいですね。
 lこの辺りの西国街道は石畳が敷かれていて、とても立派でした。
立派な長屋門です。
 街道はやがて川にぶつかります。
 小畑川です。
 橋のたもとのコンビニで小休止します。

もうすぐ川です。
 川にかかる橋の名前は
「一文橋」
 室町時代に造られた有料の橋で、大雨の度に流されたため、架け替え費用を通行人から徴収したことからその名前がついたそうです。

一文橋交差点

一文銭がモチーフの橋です。
 この川を渡ると長岡京市に入ります。
結構立派な橋です。
西国街道をゆく 続く
2020.5.5作成
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