北大手交差点
 年初から続く西国街道の旅、2日目です。
 今日はJR高槻駅からの出発ですが、その前にちょっと寄り道です。阪急高槻駅を下車しました。
 高槻と言えば実は城下町でして、幕末の藩主は永井家で、石高は3万6千石でした。
 この永井家は、小牧・長久手の合戦で池田勝入恒興の首級を挙げた永井直勝の次男に始まる家です。

高山右近教会堂跡
 この高槻城、戦国時代は和田惟政や高山右近が城主を務めていました。
 教会堂の跡に碑が建てられていました。

高槻市のマンホール

高槻城の縄張り
 高槻城は関西では珍しい土塁のお城で、石垣は門回りや櫓台など要所に築かれたのみでした。
 明治になってからは、城内に帝国陸軍第4工兵連隊が置かれていました。

兵営の門が現存しています。

陸軍と書かれた境界標
 いくつかの遺跡が残されていました。
歩哨が詰めたそうです。

高山右近像
 高槻城と言えば高山右近が有名ですかねえ。銅像が建てられていました。
 さて、JR高槻駅北側にある西国街道を目指して移動します。

永井家ゆかりの永井神社

町屋が残ってます。
芥川宿
 高槻阪急百貨店の角を曲がって西国街道を歩きます。
 JR高槻駅の北側は、かつて西国街道の芥川宿でした。
 一里塚の跡が残っています。京と西国を結ぶ街道の宿場として栄えたようで、天保年間には旅籠33軒を数えたそうです。

芥川宿一里塚跡
 芥川と聞いてピンと来た方は歴史好き。
 そう、この芥川宿の北に、三好長慶の居城である芥川山城があります。

解説板

お酒の看板
 辛うじて宿場の雰囲気が残る中を歩いていきます。
 芥川宿の西外れ、芥川を渡る手前に石垣がありました。
石垣のある交差点

止水板を渡す縦溝のある石柱
 芥川は天井川で、大雨の時は氾濫しやすかったので堤防を築き、街道には増水時に止水板をはめ込む石柱を建てたんだそうで、東海道の島田宿にも同じようなものがありましたねえ。
 堤防上には金比羅灯籠がありました。

金比羅さんの灯籠
金比羅さんまで63里半を示しています。

立派な長屋門です
 芥川橋を渡って街道を西に向かいます。

右 芥川 山崎 京
 妙見道との追分に来ました。
 道標が立てられています。
妙見道とは能勢にある妙見山へと続く街道の事です。

ブロック塀に埋め込まれた道標
右 妙見道

今城塚(いましろづか)古墳
 妙見道の脇に今城塚古墳がありました。
 宮内庁の指定がは受けてないのですが、第26代継体天皇陵の可能性が非常に高いそうです。
 古墳を過ぎて間もなく、茨木市に入りました。

茨木市のマンホール

右 京 伏見 道
 歩道の隅に小さい道標を見つけました。
 さらに街道を歩いて太田不動尊を過ぎると、名神高速道が目の前に現れます。
 ここで街道は付け替えられてまして、高速の高架下を通過します。

明治の道標
右 茨木停車場(現:JR茨木駅)
左 石川 妙見山
明治42年のものです。
 高架を過ぎた集落の中に、ひっそりと明治の道標がありました。
 さらに進んでいくと、茨木川に出ます。
 この辺りが白井河原の合戦跡だそうです。

白井河原合戦跡解説板
元亀二年(1571年)に、中川清秀ら池田勢と、織田方の和田惟政が戦ったそうで、和田惟政は討ち死にしたそうです。

郡山宿
 国道171号線を横切ると、西国街道の宿場町、郡山宿に到着します。
 まだ、宿場の雰囲気を残していますし、なんと本陣の建物も残っているようです。

本陣は工事中・・・
 が、本陣は改修中で立ち入り禁止でした。2018年?の摂津地震で損傷を受けたそうです。合掌。
脇門

春日神社参道
 勝尾川を二回渡って郡山宿を後にしました。
 街道はくねくねと蛇行を繰り返して再び高架橋の下をくぐります。
 大阪モノレール豊川駅の下を渡ります。 

是より
豊川小学校 勝尾寺
栗生 宿久庄 清水

箕面市のマンホール
箕面の滝がモチーフです。
 その先は箕面市になります。
 箕面に入ると再び道は蛇行しながら丘を登ります。
 登り切った処に道標と地蔵堂を発見しました。

地蔵堂と道標
 左 京 ふしみ 道
 地蔵堂を過ぎた辺りからいい雰囲気の家並みが続きました。

勝尾寺の鳥居
 勝尾寺は箕面にある高野山真言宗のお寺で、開基は宝亀8年(777年)だそうです。
 西国街道は箕面墓地公園の北側を通って続きます。
 街道は国道171号線と合流したり離れたりして続きます。
 萱野三平旧邸前を通りました。
 赤穂浪士の48番目の義士で、討ち入りを親に反対され、自害したとか。

萱野三平旧邸

牧落の高札場跡
 街道は再び国道171号線を越えて行きます。
 間もなく牧落の高札場跡までやって来ました。
 ここは西国街道と箕面・大坂街道の交点で、村の高札場でした。

大坂まで4里半
はっとり 2里

牧落八幡宮の鳥居
 牧落八幡宮の鳥居前を通過しました。
 寛文2年(1662年)に勧請された、村の鎮守です。
 この辺りの西国街道は直線で続いています。
 間もなく踏み切りの音が聞こえて、阪急箕面線の電車が見えました。

阪急箕面線
 この日は阪急電鉄石橋阪大前まで歩きました。
 まだ14;00過ぎだったのですが、早めに切り上げまして阪急百貨店に向かいました。
 この日は九州物産展が絶賛開催中で、福岡のラーメン海鳴のジェノバラーメン食べました。オリーブオイルが入った香り高いラーメンでした。
西国街道をゆく 続く
2020.8.9作成
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