![]() |
|||
![]() 石橋阪大前駅 昔は石橋駅だったんですが・・・ |
はてさて、コロナも小休止の2020年9月。 中断していた西国街道の旅を再開しました。 阪急電鉄石橋阪大前駅から歩き出します。 |
||
![]() 池田市のマンホール |
一旦国道176号線に出まして、前回の中断地点まで戻って歩き出します。 しばらく歩くと、宝塚線の踏切を越えます。 |
![]() 石橋阪大前駅構内 まっすぐ伸びているのが宝塚線、 右に曲がっていくのが箕面線です。 |
|
![]() 案内板 |
この辺りが能勢街道との交差点で、石橋村の高札場がありました。 また、ここに小さな川があり、石橋が架かっていたそうです。 この石橋が地名となりました。 |
![]() 道標発見 右面には 右 西宮 左 大坂 左面には 右 能勢 すぐ(まっすぐ)西宮 |
|
![]() 阪急電車が通過 左の道が能勢街道です。 |
踏切を渡って歩き出しました。 | ![]() 街道らしい道です。 |
|
![]() くねくね |
間もなく国道171号線と中国自動車道にぶつかります。 西国街道は地下道をくぐります。 |
![]() 中国自動車道の高架 国道171号線の下をくぐります。 |
|
![]() 伊丹市のマンホール |
地下道をくぐるとそこは兵庫県伊丹市です。 | ![]() 伊丹と言えば飛行場 |
|
![]() 伊丹市指定の建物 |
国道171号線沿いに、古い建物が残っていました。 下河原集落の中村家住宅です。 下河原の渡し場から、伊丹へ酒造米が送られていたそうですよ。 |
![]() 中村家住宅 |
|
![]() 軍行橋を渡ります。 |
猪名川に架かる軍行橋を渡ります。 明治44年に猪名川を挟んで陸軍大演習が行われた際に架橋されたので、この名前が付いたそうです。 |
![]() 頭上を伊丹空港から離陸した飛行機が 飛んでいきます。 |
|
![]() 草に埋もれた真新しい道標 |
猪名川を渡ると堤防沿いに南に歩きます。松谷科学工場手前の信号から堤防を降ります。 ほどなくJR宝塚線の踏切を渡ります。 坂口橋を渡ると多田街道との辻にでます。 |
![]() JR宝塚線 |
|
![]() |
|||
![]() 従是多田神社 の道標 |
辻の碑と呼ばれる道標が残っていました。 従東寺 拾里 (東寺より十里) と刻まれているようですが、読み取れませんでした。 この碑、江戸時代の「摂津名所図会」にも描かれているのですが、 ここが摂津国の中心だと説明されており、国境までそれぞれ7里(28km)あったそうです。 ちなみに南端が堺の大小路、西端は須磨、北端は三田市の天王峠、東端は島本町の関大明神社です。 |
||
![]() |
江戸時代には既に刻まれた字があまり読めなかったようです。 | ![]() 解説板 |
|
![]() 大鹿の解説板 |
県道13号線北園1丁目の交差点を越えて、街道は高台への上り坂に差し掛かります。 しばらく歩くと大鹿という地名があります。 その昔、征夷大将軍坂上田村麻呂が尼崎代物浦に向かう途中、ここで狩をして大鹿を射止めたことから、この地名が付いたそうです。 あと、銘酒「剣菱」はここ大鹿発祥のお酒だそうですよ。 |
||
![]() 大鹿村絵図 |
|||
![]() すぐ 西宮 |
有馬街道との辻までやって来ました。 有馬街道は神崎(尼崎市)から有馬温泉を結ぶ街道です。 |
![]() |
|
![]() |
伊丹市役所の近くまでやって来ました。 この辺りはかつて千僧村だったところです。 |
![]() 千僧(せんぞ)の旧地名 |
|
![]() |
千僧の地名の由来は、行基というお坊さんが昆陽(こや)上池、下池を開いた際の犠牲者を、「千僧供養」して弔ったからという説があります。 | ||
![]() 天神社 |
千僧を過ぎると昆陽(こや)です。 行基が開いた昆陽寺がある場所で、江戸時代には昆陽宿がありました。 |
![]() 埋もれてしまった道標 |
|
![]() すぐ 西宮 すぐ 中山 小濱 |
稲野小学校の前に、道標がありました。 移設されてきたのでしょうか? |
![]() 昆陽宿跡にあった看板 |
|
![]() |
|||
![]() 尼崎市に入りました。 |
国道171号線と合流したところで、尼崎市に入りました。 お巡りさんが取り締まりしてました。 すぐに国道を離れて武庫川の堤防を目指します。 |
||
![]() 堤防に登ります。 |
そう言えば「武庫荘」って、川の向こう側にある荘園って地名なんだそうで。 で、川の名前も武庫川となりました。 安直だなあ。 |
![]() 新幹線の高架橋が見えました。 武庫川です。 |
|
![]() 甲武橋を渡ります。 |
かつては「髭の渡し」で武庫川を越えていたそうですが、今は甲武橋で渡ります。 | ![]() 渡ればそこは西宮市 |
|
![]() 西宮市のマンホール 甲子園が描かれてます。 |
川の上流へ戻るのがめんどくさいので、そのまま西国街道に合流します。 | ![]() カエルはなんでかな? |
|
![]() |
|||
![]() 大きな木がありました。 |
厄神明王道の道標です。 厄神明王とは東光寺のことで、あらゆる災厄を打ち払う仏様が祀られておりまして、厄払いに御利益があるそうです。 昔から参詣客が絶えなかったんですねえ。 |
![]() 厄神明王道 道標 |
|
![]() 阪急電鉄今津線 門戸厄神駅 |
東光寺の開基は天長6年(829年)だそうで、ずいぶん古いお寺です。 参詣客を運んだ阪急今津線門戸厄神駅横を通ります。 |
![]() 駅の西側にも道標発見 |
|
![]() |
西宮中央運動公園脇を通り、街道は南へと向かいます。 JR西宮駅を見つつ、東川の脇を歩いて国道2号線までやって来ました。 ここから、街道を外れてお昼ご飯。 もっこすラーメン西宮店でラーメンいただきました。 |
![]() もっこすラーメン 神戸市民で知らない人はいないとか |
|
![]() |
|||
西国街道をゆく 続く | |||
2021.12.31作成 | |||
2020年ツーレポトップへ | |||
Home |