生田ロード
生田神社への道です。
 さて、10月になりました。
 西国街道の旅を三宮から再開します。
 西国街道は三ノ宮駅を横切って、縁結びで有名な生田神社の前で南に折れます。
 生田神社の創建は西暦201年のこと。現在地に移ったのが799年(延暦18年)のことだそうです。現在の中央区が社領だったそうで、「神戸」の地名の由来になりました。

ケーニヒスクローネの本店
上はホテルになっています。
ここのお菓子はおいしいです。

三宮神社
「三ノ宮」の地名の元になった神社です。
生田えいしん八社のの三宮です。
神戸事件の現場です。
 三宮神社前を通過しました。
 戊辰戦争時、佐幕であった尼崎藩を牽制するべく、明治政府は岡山藩に西宮の守備を命じます。
 岡山藩兵が三宮に差し掛かった時、フランス人水平が行列の前を横切ろうとしたため、制止しようとした備前藩兵と銃撃戦になった神戸事件は、ここで起きました。
 大丸 神戸店前を通りました。かなり格式高いですね。

元町にある「大丸 神戸店」です。
ちょっと雰囲気違いますね。

元町1番街のマンホール
 西国街道はアーケード街になります。
 開店時間前に通過したので、人通りはまばらでした。

神戸市のマンホール

風月堂 元町本店
 元町のアーケード街には、ユーハイムや風月堂など、名だたるお店の本店が並んでいます。
 それでも震災前と比較すると、少し寂れた感じがありました。

元町のアーケード街

西村珈琲店
明治11年、日本で初めて珈琲を提供した
お店です。
 さすがに10月ともなると、朝一は肌寒いですねえ。
♪お仏壇の浜や〜
神戸店

ポートタワーが見えました。
 ビルの間からポートタワーが見えました。
 

西国街道の案内板

亀井堂総本店
創業140年瓦せんべいのお店です。
 元町とはもともと神戸村、 二ツ茶屋村、走水村があった一帯を指し、幕末の神戸開港で街が広がったことから、ここが元々あった町だということで名前が付いたようです。
船のオブジェ

兵庫県里程元標
過去にも紹介しましたが、
里程元標は各県や市町村の役場前など、
中心地に置かれていました。
 元町のアーケードが切れた場所が小さな公園になっていて、兵庫県の里程元標が建っていました。
 西国街道は左にカーブしながらJR東海道本線のガード下をくぐり、神戸駅の前に続いています。
 神戸駅は東海道本線の終着駅、山陽本線の始発駅です。
 この近くには楠木正成で有名な湊川神社があります。

神戸駅
昭和5年に建てられた気品のある駅舎です。
貴賓室などの設備もあったそうです。

神戸駅を過ぎると
静かな街並みが続いています。

新開地オブジェ
 新開地本通りまでやってきました。
 ここは元々湊川が流れていました。
旧湊川は天井川でたびたび氾濫を起こしたことや、神戸港への土砂流入が問題視され、明治34年に金下山にトンネルが完成し、湊川が現在の位置に付け替えられました。
 その旧湊川跡に開けた街が、「新開地」という訳です。
 西国街道はやがて山陽本線のガード下をくぐります。

みなと八幡神社付近です。
 県道湊町線を越えたところが、兵庫湊口惣門跡です。
 神戸開港前にあった兵庫津があった場所で、ここから兵庫の町が広がっていました。

解説板

岡方倶楽部跡です。
明治時代の建物で、国有形文化財です。
 街道は国道2号線と阪神高速神戸線を越えて続いていきます。
 岡方倶楽部跡がありました。
兵庫津は江戸時代を通じて尼崎藩の支配下にありましたが、江戸時代末期に幕府直轄地となり、南濱、北濱、岡方の三つに行政区分を分けました。
 その岡方惣会所跡地に、兵庫商人の社交場として昭和2年に建てられた洋館だそうです。

埋もれた道標
右 和田
と読めます。
 間もなく西国街道は西に直角に折れ曲がります。
 ここに江戸時代を通じて高札が架けられており、「札場の辻」と呼ばれていました。
 この辻を南に行った場所に、尼崎藩の陣屋がありました。

札場の辻解説板

札場の辻から明石方面
 陣屋は、天正9年(1581年)に池田恒興が築いた兵庫城跡に置かれていました。
 二重の堀や天守台跡が発掘されているそうです。
 街道は再び国道2号線と阪神高速神戸線を越えて北に延びていきます。
 

柳原えびす神社

西惣門跡
 柳原えびす神社の角に、兵庫津西惣門跡の石碑が建てられていました。
 神社の向かい側に、康永3年(1344年)に足利尊氏が創建した福海寺がありました。

福海寺
足利尊氏が新田義貞軍に追われた際、
福海寺の前身である針ヶ崎観音堂に
避難して難を逃れたため、
お礼のためにお寺を建立したそうです。

兵庫駅
 西国街道は山陽本線のガード下をくぐって西北へと続きます。
 JR兵庫駅前を通過しました。この辺りは普通の住宅街ですね。
 さて、兵庫駅前からの西国街道はすごく広い道路ですが、これは山陽電鉄が地上線だった頃、長田駅から電鉄兵庫駅までの間が併用軌道(車と鉄道が道路を共有)していた名残だそうです。
 1968年に神戸高速鉄道が開通したため、山陽電鉄の西代〜電鉄兵庫間は廃止になり、併用軌道跡は広い道路になり、電鉄兵庫駅は今の関西スーパーなどが入る兵庫駅前ビルになったそうです。

六甲の山々がかなり近づいてきました。

中央幹線に出ました。
西国街道をゆく 続く
2022.1.10作成
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