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![]() 日の出 |
2020年11月、我々は再び西国街道の旅に出ました。 出発地点が段々遠くなりまして、夜明け前の出発になります。 道中で日の出を迎えました。 |
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![]() 明石城到着 太鼓門跡 |
明石城近くの駐車場に車を置いて、まずはお城見物。 |
![]() 明石城東大手門 |
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![]() 明石市立天文科学館と明石海峡大橋 |
お城の東側を箱堀を見ながら登り、東丸から入ります。 | ![]() 東丸入口 |
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![]() 明石海峡と淡路島が見えます。 手前は明石駅 |
東丸から二の丸へと進み、本丸巽櫓を見ました。 明石城には現存する2基を含め、4基の三重櫓があり、本丸の四方を固めていました。 |
![]() 本丸巽櫓 |
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![]() 本丸巽櫓 |
巽櫓は大きさが5間×4間、高さが7間ほどあります。 丸亀城天守が6間×5間なので、一回り小さいです。 |
![]() 巽櫓と三の丸 |
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![]() 本丸側から見た巽櫓 |
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![]() 坤櫓 |
巽櫓の向こうに坤櫓が見えます。 坤櫓は6間×5間、高さが7間2尺あまりで、天守代用の三重櫓でした。 唐破風があり、巽櫓より格式が高いのが分かります。 |
![]() 本丸側の坤櫓 |
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![]() 天守台石垣 東西25m、南北20m 熊本城天守台とほぼ同じ |
明石城には5重天守規模の天守台は造られましたが、天守は築かれませんでした。 | ![]() 坤櫓と三の丸 |
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![]() 明石城のマンホール |
本丸北側には谷を利用した桜堀があり、北の丸と本丸を隔てていました。 | ![]() 桜堀 |
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![]() 天守台と坤櫓 |
元和4年から築城が始まった新しい城なので、石垣も見事な算木積みでした。 | ![]() 天守台石垣 見事な算木積です。 |
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![]() あおりで撮影した 坤櫓と巽櫓 |
街道歩かないといけないのに、お城でのんびりしてしまいました・・・ | ![]() 正面から見た明石城本丸 |
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![]() 営業前の魚の棚商店街 |
明石城を出て明石駅を横切り、西国街道へと戻ります。 | ![]() 最近、乾電池の自動販売機見なくなりました。 |
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![]() 町屋跡らしい細長いパーキング |
明石城は西国大名と明石海峡の押さえとして築かれたお城。 西の防衛線は明石川でした。 |
![]() 明石川を渡る |
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![]() 西新町への道 |
明石川の西側には、西新町という町屋と、足軽屋敷等がありました。 十輪寺で街道は左に折れて西へ向かいます。 |
![]() 碓氷翁記念碑 |
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![]() 西国街道の行く手に丘が見えてきました。 |
間もなく街道は丘陵を登ります。 この坂を「和坂(かにがさか)」と言い、旅人を悩ませていた大蟹を弘法大師が塚に封じたという伝説があります。 |
![]() 蟹の交通安全標識 |
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![]() 坂上寺に大師の?がありました。 |
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![]() 街道の風景 |
街道は間もなく国道2号線に合流し、明石電車区を左に見ながら、また脇道に入っていきます。 間もなく、新幹線の西明石駅が街道に立ちふさがるので、駅を大きく迂回して西へと向かいます。 |
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![]() 住吉神社 |
街道は再び国道2号線を離れます。 常徳寺を過ぎた辺りから、谷八木川に向かって街道は下り坂になります。 その辺りは風情がありました。 |
![]() 風情が残ってますね。 |
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![]() この洋館は1919年に建てられたものだそうです。 (旧安藤家邸宅) 明治大帝がここを訪れたのは、明治18年(1885年)のようです。 |
川を渡ると、JR大久保駅に向かって道は登りになります。 左手に朽ちた洋館が建っていました。 横には碑があって、明治大帝陛下と、大久保卿が休んだ場所のようです。 |
![]() 石碑 |
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![]() 間もなく大久保駅 |
Jr大久保駅前を通過します。 この大久保、明石藩主であった大久保加賀守にちなんだ地名なんだとか。 |
![]() 大久保駅前の外れに、 虫籠窓のお家が残ってました。 |
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![]() 是より播磨88カ所・・・ 左 住吉 と刻まれた道標 |
街道は再び国道2号線と合流し、富士通の工場前を歩いて行きます。 | ||
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![]() 金崎宮鳥居 |
富士通やコカコーラの工場を過ぎると、街道は再び国道を離れます。 田んぼが広がる風景が戻ります。 金崎宮鳥居前を通過。 まもなく道標を見つけました。 神戸市西区にある「太山寺」のことでしょうか? |
![]() 左 大山寺道 道標 |
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![]() 正覚寺 |
正覚寺前を通過し、道標を見つつ、西へ歩いて行きます。 | ![]() 「魚住太子道」と書かれた道標 |
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![]() 大道池 |
大道池の横を通過します。 大和朝廷の時代、山陽道に造られた「駅家(うまや)」の一つ、邑美駅家跡がありました。 朝廷の使者は、ここで馬を乗り継いだのです。 |
![]() 邑美駅家(おうみのうまや)跡 |
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![]() 井戸 |
池の中に造られた魚住小学校を通過します。 | ![]() むくり屋根の民家 |
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![]() 流慶不渇の? 水利を取り戻した方の顕彰?のようです。 |
瀬戸川に向かって街道が下り始めます。 道の両側に遺跡がありました。 |
![]() 石造り五重塔 南北朝時代のものだそうです。 |
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![]() 清水神社 |
清水集落の鎮守であろう、清水神社がありました。 | ![]() 本殿 |
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![]() 道標 |
瀬戸川と清水川を越えて道は再び登り坂です。 | ![]() 清水川を越えて上りです。 |
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![]() 宝篋印塔 |
遠くに加古川バイパスが見えてきました。 宝篋印塔がありました。 江戸時代後期に、清水新田で行き倒れた旅人を供養するために建てられたのではないかとされています。 約30m東から移されているそうです。 |
![]() 解説板 |
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![]() 右 三木 左 二見 の道標 |
道標を過ぎると県道を横切りました。 ここらでお昼ご飯とします。 よさげなうどん屋さん見つけたんですが、店内がなんか猫臭くて、あんまり食欲わかなかった・・・ |
![]() うどん |
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西国街道をゆく 続く | |||
2022.6.26作成 | |||
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