西国街道は加古川市に入りました。
 

西谷八幡神社
 JR神戸線の踏切を越えてしばらく行くと、街道は国道2号線に合流します。
 再び国道から外れたところに八幡神社がありました。

街道は西へと続きます。

むくり屋根の民家
 街道らしい風情の道が続いた後、東加古川駅が近づいて、区画された街並みに変わります。
こちらも立派

五輪塔
昭和58年に建てられた看板によると、
室町時代初期のものと推定。
播州名所巡覧絵図では、
「足利左馬頭義氏の墓という」とあるそうです。
 東加古川駅を過ぎると、西国街道がイオンに飲み込まれて消滅していました。
 その手前に、五輪塔がありました。
 イオンに引き続いて団地があり、西国街道は消滅しています。
 団地を突っ切ると街道が復活しました。しばらく行くと大きな神社があり、その角に道標が立っていました。

道標
東 大野村在(所?)
南 式内日岡神社
日岡神社と言えば、加古川駅から加古川線に乗って一駅、日岡駅の近くにある神社なのですが、なぜこの道標はここにあるのでしょうか?

野口神社
 大きな神社は野口神社でした。
 創建は奈良時代(7世紀頃)で、その頃はお寺だったようです。神仏習合でやって来たのですが、明治の廃仏毀釈で神社1本になったようです。
 街道をさらに進むと教信寺がありました。

教信寺
 教信寺の創建は、承和3年(836年)で、教信というお坊さんが建てたそうです。
 教信は、街道を行くお年寄りの荷物を運んだりしたので、「荷送り上人」などと呼ばれていたそうです。
 下って戦国時代。
 教信寺の隣には野口城があり、教信寺の僧兵が立てこもりましたが、黒田官兵衛率いる羽柴勢に攻められて落城したそうです。

解説板

新代橋
大正4年の橋です。
 ちょっと立派な橋がありました。
 さらに行くと宝篋印塔がありました。南北朝時代から室町時代のもので、和泉式部の墓と言われているそうです。

宝篋印塔がありました。

いろは食堂
 ここで、ちょっと西国街道を外れまして。
 閉店間際でしたが、いろは食堂に到着。
 加古川名物「カツめし」をいただきます。
 デミグラスソースたっぷりの牛カツめしうまかったです!

加古川のカツめし

胴切れの地蔵
普段からこの地蔵を信仰していた男が、大名行列を横切ってしまい、胴を真っ二つに切られてしまいましたが、男には傷一つなく、代わりに地蔵が真っ二つになっていたそうです。
 加古川駅が近づいてきました。
 加古川は西国街道の宿場として栄えた町でした。京都を出発して8番目の宿場になります。
 街道もやはり雰囲気がありました。

大村株式会社
織物の会社だそうで、煉瓦造りの
工場?が素敵ですね。

街道筋の風景
 加古川駅前までやって来ました。
 姫路発祥の百貨店、ヤマトヤシキが健在でした。
本店はつぶれちゃったんですが・・・

加古川駅前

がんばって歩く
 ここでゴールにしようかとも思ったのですが、行けるところまで行くことにしました。
 駅前通りを横切ると、間もなくアーケード街に入ります。
 が、ここも多分に漏れず、シャッター街になっていました。

じけまち「寺家町」アーケード

カラー版加古川市マンホール
 かつてはすごく賑わっていたであろう商店街を歩きます。
 この日は週末だったのですが、薄暗かったのです。

アーケードの入口に、創業明治30年のうどん屋さんが

昭和初期かな?
 おいしそうなお店はいくつかあったのですが、お昼ご飯を2回食べたので、断念しました。
おいしそうな和菓子屋さん

陣屋跡
 陣屋跡がありました。
 陣屋は姫路藩の加古川役所として宝暦2年(1752年)に建てられ、参勤交代で行き交う大名行列の応接などに使われたそうです。
 明治18年には明治大帝も立ち寄られています。
 アーケード街を抜けて街道を歩くと、古めかしい洋館がありました。
 昭和30年代かな?と思ってたんですが、なんと大正年間の建物で、登録有形文化財でした。

加古
神田家住宅
階段が急過ぎません?

加古川
 ついに加古川を渡ります。
 川の向こうにニッケ株式会社の工場が見えます。
 ニッケは明治29年創業の毛織物の会社で、創業者は川西清兵衛。
 紫電改を生んだ川西航空機とともに、川西財閥の中心企業でした。
かつてはすごい勢いで、川向こうの印南工場と、川の手前にある加古川工場(現在のニッケパークタウン)を引き込み線用の鉄橋で結んでいたほどです。
 写真に見えるJR神戸線の鉄橋の手前に、その鉄橋があったそうです。

下町のお好み焼きやさん。
じゃりン子チエに出てきそう
 加古川橋を渡ると、街道は国道の南側に小さくそれて、すぐ国道に再合流。
 ニッケ印南工場の前を通って歩いて行くと、JR神戸線宝殿駅の前に来ました。
 時間も程よく、ここで中断することにしました。

宝殿駅
かつてはニッケ印南工場への引き込み線や、住友セメント宝殿梱包所への引き込み線があり、貨物扱いも盛んだったそうです。
近くの高砂市にある生石神社にある、「石の宝殿」にちなんだ駅名です。

駅のホームから見る明石城
 JRに乗って明石まで帰ってきました。
 明石からは車で帰宅しました。

明石駅北側
西国街道をゆく 続く
2022.7.31作成
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