雨から逃げ切り、安堵して岩手山を見る
 道の駅を出発し、高速道路に乗ろうと思ったら、ガソリンがない。
 慌てて国道7号線沿いのガソリンスタンドで給油していたら、
「ぽたっ」
 と雨粒が地面をたたき始めました。
「やばい」
 給油もそこそこに、大鰐弘前ICから高速に入りました。
 秋田県境手前から、時々雨雲に追いつかれそうになりますが、必死に逃げます。
今回の雨雲は日本海から移動してくるので、奥羽山脈の東側に出れば、天気は持つはず。
「頼む-!」
岩手県境を過ぎた辺りから、青空が広がってきました。
「助かった・・・・」

嶽きみLOVE
 岩手山SAでお昼ご飯。
 道の駅で買って来た
「嶽きみ」
をいただきます。
 「今度はいつ食べられるかなあ・・・」
 ご飯の後は、SAで岩手土産を物色してました。

白神山地の水
心まで洗われそう?

雨から逃れて300km走りました。

吉岡宿本陣案内所
 岩手はあまり寄りたいところも思いつかなかったので、東北道をひたすら南下します。
 宮城県に入り、大和ICで高速を出ます。
 県道3号線を走り、国道4号線を横切って県道147号線を走ると、そこは大和町吉岡。
 かつて奥州街道の宿場であった「吉岡宿」があったところです。
 なんでここを訪れたかといいますと・・・
 「殿!利息でござる」という邦画がありまして、ここ吉岡宿で起こった実話が元になっているのです。
 これが結構泣かせるお話なのですが・・・

奥州街道
 要は私財を投げ打ち、宿場の苦難を救った商人たちのお話なのです。
 そのお話に出てくる舞台を、この目で一度見たいとやって来ました。
 その時、活躍した商家のほとんどが残っていないのですが・・・

菅原屋跡

浅野屋跡

穀田屋さん
 ただ1軒、
「穀田屋」
さんだけが、江戸時代から変わらない場所で、酒屋さんを営んでらっしゃいました。
(さすがに酒造りはされてないようですが。)
 あと、ここは奥州街道の要衝だったため、かつては吉岡城があって、伊達政宗の三男、伊達宗清公が城主だったのですが、宗清公に嗣子なく、お家は断絶、城は廃城になっています。

吉岡城櫓台跡


JR仙台駅
 吉岡の郵便局から青森・岩手のお土産を自宅に発送。
 身軽になって仙台を目指します。
 途中、道を間違えましたが、ようやく宿にチェックイン。
 仙台駅前にご飯食べに来ました。

そばの神田
(某ケンミン番組で紹介されてた。)
 この日は、軽く立ち食いそばをいただきました。
掻き揚げそば、いただきました。

吉岡宿から仙台まで
この日は330kmくらい走りました。

まだ持ってる
弘前のアップルパイ
 この日の宿は素泊まり。
 朝ご飯は昨日買っておいた弘前のアップルパイです。 
 仙台市から国道48号線で西に向かい、県道263号線で西方寺を目指します。

県道263号線
美しいダム湖です。

西方寺
 ダム湖の奥に立派なお寺がありましたが、そこは目的地ではなく・・・
 その手前の豆腐屋さんに入ります。

定義とうふ店

油揚げ
某ケンミン番組で知りました。
 仙台では知らぬものはいないという、
「定義とうふ店の油揚げ」
です。
 熱々に、醤油とニンニク七味をかけて食べると、めちゃくたうまいのであります。

揚げてるところ

元来た道を引き返します。
 来た道を引き返しまして、国道48号線国道457号線を走ります。県道62号線を走って、仙台近郊の温泉地、秋保温泉に到着します。
この日はとってもいい天気

主婦の店 さいち
おはぎが有名なのです。
 目的は温泉ではなく、スーパー。
 車が大渋滞する中をバイクですり抜けて到着しました。
 ここ、
「主婦の店さいち」
は、某ケンミン番組でも紹介されたところで、おはぎやお総菜がかなり有名なんだそうです。

3パック買ってしまった。どうしよう・・・

国道286号線
街道らしい、いい風景です。
 県道62号線は大渋滞。
 渋滞を避けて県道160号線へ。
 国道457号線に入って、国道286号線へ。
 亘理へ「はらこ飯」食べに行くか迷いましたが、山形へお城を見に行くことにしました。
 で、国道286号線を走っていたのですが・・・
 矢印の方向に行くと、山形自動車道の笹谷ICでした。
「あり?」
地図上では国道が続いているはずなのですが・・・
「ま、行ってみようか〜」
と、高速に入らず国道を走ると、国道439号線みたいな感じになってきました。
「舗装はされてるからいいけどさあ〜」
道はどんどん細くなり、落ち葉が溜まりだし・・・
「交通量ないんだな」
と、笹谷峠までやって来ました。
「すごい道だったなあ」
いやいや、山形側のつづら折れのすごい道でした。
ここも一応山形市内なんですけどねえ。

笹谷峠
国道286号線です。

ハマグリ山と言うみたい。
 山を下りきって山形市街を横切りました。
 国道348号線をたどっていくと・・・

長谷堂城の戦い解説図
 長谷堂城に到着しました。
 このお城が一躍有名になったのは、関ヶ原合戦の時。
 西軍の上杉景勝が、直江兼続を大将として、東軍の最上義光を攻撃しました。
 上杉勢は、山形城にほど近い、ここ長谷堂城を包囲し、攻め立てました。
 ここを守っていたのは、志村光安。1000人の兵で籠城し、一歩も引きませんでした。
 攻めあぐんだ上杉勢に届いたのは、関ヶ原での西軍敗退の知らせ。
 上杉勢は引き上げ、最上家は滅亡を免れました。

八幡崎口の登城口
 お城の麓に立派な駐車場があったので、そこにバイクを停めて歩き出します。
上り坂

解説板があって、わかりやすいです。
 道を登っていくと、右側に何段もの段差があります。
 帯曲輪群だそうで、上杉勢の本陣と対峙していた場所になります。

帯曲輪群

解説板
 八幡口方面は、なだらかな斜面なので、登ってくる敵を遮断するための土塁がありました。
 山頂から伸びる尾根筋は平坦にされ、曲輪が設けられていました。
 籠城していた兵たちが駐屯していたのでしょう。

土塁跡

曲輪

本丸への道

本丸
 本丸に到着しました。
 本丸からは、山形市街が一望できました。
 この城が落とされれば、山形城まで要害らしい要害がなかったことがよく分かります。

山形市街を望む

本丸南側にある稲荷社
 本丸南側に窪地があります。
 ここが虎口跡ではないかと考えられているそうです。

本丸南側斜面
彼岸花が満開でした。

長谷堂観音
 本丸南側を下っていきます。
 南側尾根の先端近くには、長谷堂観音がありました。
 長谷堂観音を西に下ると、二重堀跡があります。

二重堀跡

切岸
 本丸西側は、山の斜面を削り取って傾斜をきつくした、切岸があります。
 お城の西側が、上杉勢の攻勢正面でしたので、守りを固めたのでしょう。

上杉勢が本陣を置いた菅沢山

本丸下の帯曲輪
 この下を城内の主要通路が通っており、ここから攻撃できました。

長谷堂城縄張り

長谷堂城全景
 いやいや、堪能しました。
 ここまで来たので、もう一つお城を見に行くことにしました。
久しぶりの東北ツーリング 続く
2022.10.23作成
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