さて、1月の寒ーいある日のこと。 日本最古の国道と言われている、竹内街道を歩こうと、近畿日本鉄道南大阪線にある、磐城駅にやって来ました。 |
當麻(たいま)マンホール 現:葛城市 當麻寺が有名です。 |
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長尾神社と竹内街道 |
長尾神社は9世紀にはこの地にあった神社で、祭神は天照大神、豊受大神です。 竹内街道、長尾街道、横大路が交わる場所にあるため、古くから崇敬を集めていたそうです。 ここから竹内街道を歩きます。 |
左が長尾神社です。 |
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街道らしい風情です。 |
始めは葛城山脈に向かって緩やかな上り坂を歩いて行きます。 | ||
葛城山脈 |
竹内街道が整備されたのは7世紀頃のようですが、それ以前から街道として機能していたようです。 飛鳥と難波を結ぶ街道で、かなりの往来があったようです。 |
お地蔵さま |
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右大峰山、長谷寺道 |
江戸時代は伊勢への街道として機能していたようです。 | 字が読めないのですが、道標のようです。 |
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井戸 |
街道途中の竹内集落に、松尾芭蕉が一時期住んでいたそうで、幟のたった民家がありました。 | 綿弓塚 |
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ながめがよさそうな座敷があるようで |
途中、街道が工事中で脇道を歩いたのですが、川を望む素敵な古民家がありました。 旅籠だったんでしょうか? |
池 |
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車を通すため、かなり切り下げられています。 |
竹内峠に到着しました。 ここが大阪府と奈良県の境になります。 かつては河内と大和の国境でした。 |
明治時代の石碑 |
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ここからは下りになります。 長い下り坂を下っていくと道の駅があったので、小休止。 |
太子町マンホール さすが聖徳太子ゆかりの街です。 |
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道標 |
道の駅の裏からは、旧街道の風情を残しています。 | 街道感抜群です。 |
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旧山本家住宅の屋根 |
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旧山本家住宅 「大和棟」・・・母屋部分を急勾配の切妻の茅葺とし、塗籠とした両妻に大屋根より高い瓦葺の小屋根の付いた袖壁(高塀/たかへえ)を建て、下屋部分は緩勾配の瓦葺としたもの。 |
「大和棟」を今に伝える旧山本家住宅がありました。 | 左 孝徳天皇陵の道標 |
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道標のある辻 |
太子町は、聖徳太子ゆかりの地だけあって、皇族のお墓も多く、ここを日本の王家の谷と呼ぶ人もいます。 | 街道は続きます。 |
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妻側に小さい屋根が付く民家が多いです。 この辺りの建て方なのでしょうか。 |
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右 いせ 道標 |
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羽曳野市に入ります。 |
太子町の終わりくらいから、国道166号線が竹内街道になります。 ただ、国道とは思えないような道なんですが。 |
近鉄 上ノ太子駅 |
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羽曳野市に入り、南阪奈自動車道をくぐると、もう平坦な道になります。 | |||
月読橋で飛鳥川を渡ります。 |
月読橋たもとの常夜灯 文政5年(1822年)のもの |
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駒ヶ谷の集落に入ります。 駒ヶ谷の氏神、杜本神社がありました。 ここには楠木正成の首塚(伝)があるそうですよ〜 |
杜本神社 |
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川向の道標 |
石川の手前に道標が2本立っていました。 法花寺、大黒寺への道標です。 |
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石川を渡ると、古市の街に入ります。 やがて見覚えのある交差点に到着しました。 ここが、東高野街道との辻になります。 大きな道標と再会しました。 |
羽曳野土産 いちじくソース |
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竹内街道 続く | |||
2023.2.26作成 | |||
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