枚岡駅近く
 枚岡駅にやって来ました。
 2022年12月に奈良県側から越えて来た、暗峠奈良街道の続きを歩きます。
 本日は枚岡駅から大阪市内を目指します。

近鉄電車
尼崎行き

子安地蔵尊
 近鉄のガード下をくぐって街道は下って行きます。
東大阪市のマンホール

豊瀬会の碑
昭和14年のもの
武運長久と刻まれた部分だけ、
コンクリートで埋められてます。
 街道らしい風情がよく残ってますね。

恩地川を渡ります。
 かつての大和川である恩智川を渡ると、間もなく松原宿です。

東大阪市のマンホール
 東大阪市には花園ラグビー場がありまして、ラガーマンの聖地です。
 マンホールもラグビーのデザインです。

東大阪市のマンホール

左 大坂道
 松原宿に到着しました。
 大坂と奈良・伊勢への脇往還として栄えた暗峠奈良街道の宿場町として、明暦年間(1655年頃)に開設されました。
 大和川の分流である恩智川と吉田川の間にあり、水運でも栄えていたようです。寛永年間には16軒の旅籠がありました。
 明治・大正になって鉄道が引かれると、寂れてしまったそうです。

右 奈良 いせ 道
 開設板がそこかしこに置かれていました。

花園ラグビー場
 花園ラグビー場が見えてきました。
 日本初のラグビー専用競技場として、昭和4年に開場しました。
長らく近鉄が所有していましたが、今は東大阪市が管理しているようです。

シャノワール花園店
 大阪にある洋菓子のチェーン店、シャノワール花園店がありました。
 なんか、テレビに紹介されていたよねーってことで開店直後に入って見ました。
 ショートケーキ買いまして、近くのコンビニで珈琲と一緒に頂きました。
 旨かったです。

佐川運輸
 府道702号線沿いには、佐川の物流センターや、大きな郵便局がありまして、交通量多めです。、
郵便局
 旧菱江村のもちのき地蔵前を通過しました。
 おかげ灯籠は天保2年(1831年)のものです。
 ここ菱江村でも慶応3年(1867年)11月にお札が空から降って来たとのことで、12月1日から6日まで「おかげ踊り」を踊ったそうです。
「ええじゃないか」

もちのき地蔵とおかげ灯籠

開設板
 八剱橋跡までやって来ました。
 ここには昔、大和川分流の菱江川が流れていまして、幅は120mもあったそうです。
 大和川の付け替え工事の後、新田が開かれましたが、ここに幅数間の用水路が引かれました。
 八剱橋は、その用水路に架けられた石橋だったそうです。

水路跡
今は暗渠になっているようです。

八剱神社
かつては大和川河口にあった島だったそうです。
 八剱橋の先には八剱神社がありました。
 かつては橋の東にあった道標が、ここに移されてました。

真ん中の道標、
瓢箪山と書かず、
瓢箪の絵が描かれているのがわかります?

 八剱神社のすぐ先に、道標のある交差点があります。
 旧来の暗峠奈良街道と、明治になって整備された河内街道との交差点です。
 道標は、明治40年に大阪府によって建てられました。
 

すぐ(まっすぐ)石切 瓢箪山 奈良
左 住道 四條畷

河内街道 北向き
 四つ辻の反対川にも小さい道標がありました。
河内街道 南向き

交差点の反対側にも道標
すぐ 大坂 右 枚方 左 八尾
すぐ 八尾 右 大坂 左 奈良

魔法瓶の会社さん
 東大阪は町工場の街で、いろんな会社があります。
 街道は第2寝屋川を渡ります。

第2寝屋川

植田家住宅
 文化・文政頃の民家である、植田家住宅があります。
 街道沿いで本陣を務めた家柄で、「松平甲斐守様御本陣」(大和郡山藩柳沢家)や、「片桐石見守様御本陣」(大和小泉藩片桐家)の本陣札が残っているそうです。

立派な長屋門があります。
暗峠奈良街道 続く
2024.3.17作成
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