オランダ屋 奈良店さん
 大仏線を歩いた直後、今度は奈良街道を歩くことにしました。
 ちょっと街道を外れるのですが、オランダ屋さんのモーニングをいただきます。

モーニングいただきます。

県境
 奈良街道と呼ばれる街道はいくつかあるのですが、今回は奈良市から京都伏見を結ぶ街道を歩きます。
 奈良市の区間は短く、すぐに京都府木津川市に入ります。

奈良っぽい標識

お茶屋さん
 京都府に入ると、宇治茶の本場が近いだけあって、お茶屋さんが目に付きます。
 なんか曰くありげなお地蔵さんがありましたが、由緒は分かりません。

弘法大師御修業中高座休憩所御香水

へらさか神社

 へらさか神社前を通過します。
 崇神天皇十年、四道将軍の大毘古命が、ここ「幣羅坂」で腰裳を着た少女に出逢います。 
 少女は歌を詠うのみで問いかけには応じず、三度詠うと姿は消えました。
 怪しんだ大毘古命は引き返し、その旨を天皇に奏上。
 天皇は埴安彦の謀反を知りました。
 大毘古命は再び「幣羅坂」に向かい埴安彦を討ちました。この時「州見山(くにみやま)」に登り、天神地祇を祀ったそうです。
 その後朝命により「幣羅坂」に宮殿を設け、天津少女神を崇祀し「幣羅坂宮」と号した。
 やがて大毘古命も亡くなり、当地「小字西山」の地に葬られましたが、後に天津少女神とともに当社に合祀されたそうです。

ばったん床几
 さすが古都同士を結ぶ街道だけあって、伝承には事欠きませんね。
またお茶屋さん
 街道はやがてJR奈良線の下をくぐります。
 これまた古そうな煉瓦造りの橋台ですね。

三柱神社の石灯籠
 街道は国道163号線の高架下をくぐって北へ続きます。
 街道は井関川に沿って左にカーブしていくのですが、街並みに街道の風情が残ってますねえ。

寛永18年(1641年)と書かれた道標
 井関川を越えて街道は北へと続きます。
 木津川市街地に入りました。
 旧木津町のあったところです。街道近くに木津駅があります。
 関西本線、奈良線、片町線に所属し、京都方面、奈良方面、京橋方面、亀山方面へとつながる結節点です。

常夜灯
 片町線(学研都市線)の踏切を渡ります。
 かつて、ここを名阪を結ぶ列車が走っていたかと思うと胸熱ですね。

片町線の踏切を渡る。
 お寺があったので入って見ました。
 境内?に和泉式部の墓の石碑がありました。

これが和泉式部の墓
 和泉式部と言えば平安時代の歌人ですが、いろいろな場所に伝承があるので、ここがお墓とは断定できないそうです。
解説板

泉大橋
 泉大橋で木津川を渡ります。
 泉大橋は日本百名橋の一つです。1951年架橋のカンチレバー式トラス橋です。
 奈良時代に行基が橋を架けたなどの記録がありますが洪水で流され、以後明治まで木津川に橋はなかったそうです。

木津川
 川を渡ると木津川市の旧山城町になります。

山城町マンホール
 この辺りは上狛茶問屋街で、茶問屋が並んでいます。
 ここに茶問屋が栄えた理由は、明治時代にこの辺りのお茶を木津川〜淀川経由で神戸まで運び、海外に輸出していたからだそうです。

むくり屋根が素敵

風流な塀ですね
 明治17年から続く山城茶業組合120年記念の碑がありました。

福寿園の工場
 かの有名な福寿園の本社工場がありました。
緑寿園本店

上狛環濠集落解説板
 さて、国道24号線を横切ると、街道は上狛環濠集落跡を通ります。
 かつては東西330m、南北360mの集落の周りを堀が囲んでいたそうです。
 

クランク状の街道に集落を感じます。

上狛小学校南側の屋敷
水路はかつての堀でしょうか?
 集落を抜けて伏見へと向かいます。
 街道は府道70号線と合流して再び別れます。
 赤い塀が印象的な春日神社前を通ります。

旧山城町の山城古道案内板
 棚倉駅南側で、JR奈良線の高架下をくぐって奈良線の東側にでます。
JR奈良線の高架をくぐります。
奈良街道 続く
2023.11.5作成
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