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![]() 小さな祠 |
別所を過ぎて国道2号線を跨ぎます。 やがて御着に到着しました。 |
![]() 福乗寺 |
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![]() 御着の街並み |
御着と言えば、黒田官兵衛ゆかりの小寺家の居城がありました。 永正16年(1519年)に、小寺政隆が築城し、城主となりました。 黒田家は、この小寺家の家老でした。 天正7年(1579年)、羽柴秀吉に攻められて落城。城は廃城となりました。 御着は江戸時代を通じて西国街道の宿場となり、本陣が置かれました。 |
![]() 御着公会堂 |
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![]() 御着城本丸跡 |
国道2号線の北側にある、姫路市役所東出張所が、御着城の本丸跡になります。 出張所裏手の本丸堀跡には、昭和47年まで西国街道に架かっていた天川橋が移築保存されていました。 文政11年(1828年)、姫路藩が天川に架けた石橋で、全長26mあまり、幅は4.45m、高さは5mありました。 江戸時代の橋が、昭和まで現役だったのがすごいですねえ。 |
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![]() 天川橋 |
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![]() 天川橋 |
昭和47年の水害で壊れ、昭和53年にここに移築されて保存されているそうです。 | ![]() 橋の名前と銘文がきざまれてます。 |
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![]() 御着城解説板 |
さて、御着城は、西国街道や町屋を城域に取り込んだ、かなり大きなお城だったようです。 出張所東側にグランドがありますが、その北側の駐車場は二の丸堀跡なんだそうです。 |
![]() 二の丸堀跡 |
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![]() 小寺大明神 |
本丸跡から国道2号線を挟んだ南側には、小寺大明神がこじんまりと建っていました。 小寺一族をお祀りしているそうで、本丸に建てられたとの文献が残っていることから、御着城の本丸は国道で分断されているようです。 |
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![]() これが現在の天川橋 |
御着城を後にして、天川橋で天川を越えます。 ここに、先ほどの石橋があったんですねえ。 |
![]() 道標 右 かみすず 左 うしどう山 |
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![]() 一里塚跡 |
西国街道は、JR神戸線(山陽本線)を横切り、山陽新幹線の高架下をくぐります。 間もなく、一里塚跡の碑がありました。 街道はまもなく市川を渡ります。 |
![]() 道標 右 ヒメジ 左 神戸 |
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![]() 九所御霊天神社 |
市川を渡ったところで、痛恨のトレースミス。 西国街道から外れてしまいました。 九所御霊天神社前で気がついて、西国街道へと戻ります。 |
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![]() 現在の外京口門跡 |
京口駅近く、東光中学校付近に、姫路城の外京口門跡がありました。 西国街道の京側の入口でもあり、立派な城門があったようです。 |
![]() 解説板 |
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![]() 白鷺城にちなんだ、姫路市のマンホール |
外京口門を過ぎた西国街道は、まっすぐ西に続きます。 | ||
![]() 姫路城中堀 |
西国街道は、姫路城の中堀近くで左(南)に折れますが、とりあえず姫路城の中堀を見に行くことにしました。 | ||
![]() 内京口門 |
中堀には、内京口門跡がありました。 外京口門と違い、こちらは堀と石垣が残っていました。 門の内側は賢明女子学院の敷地内で入ることはできませんが、立派な枡形虎口の石垣が残っています。 |
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![]() 解説板 |
解説板を確認すると、総石垣の枡形虎口で、櫓門が構えられていたようです。 ひとしきり写真を撮ったあと、街道に戻ります。 |
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![]() 二階町 |
西国街道は、商店街になっていました。 アーケード街を歩きます。 やがて、大手前通りに到着。 道路の向こうに姫路城の天守群がそびえていました。 |
![]() 姫路城 |
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![]() やまさ 大正5年創業のかまぼこやさん 兵庫県では有名です。 |
大手前通りを姫路駅へと歩いて行きます。 駅前には山陽百貨店がありまして、そのデパ地下に向かいます。 |
![]() あった! |
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![]() 担々麺 ゴマと醤油があります。 |
回転焼で有名な、「御座候」で、念願の担々麺とジャンボ餃子のお昼ご飯を頂きました。 とても手頃な値段で、おいしくいただきました。 |
![]() じゃんぼ餃子 マトンが入っているので、独特の風味があります。 |
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西国街道をゆく 続く | |||
2023.5.15作成 | |||
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