本徳寺
 船場御坊本徳寺を見つつ、西国街道を歩きます。
 いま見ると、若干西国街道をトレースミスしているようです・・・
薬師山トンネルの前を通過。
 今宿を過ぎると国道と合流し、姫新線を高架で越えて行きます。

車橋の石碑
なぜここにあるのかは不明だそうです。

西国街道
 下手野までやって来ました。
 下手野の道標がありました。
 ここは、因幡道・竜野道との分岐だったところです。
 

下手野の道標
明和4年(1767年)のもの
左 たつの

常夜灯
文政年間のもの
夢前川の渡し場にあったんでしょうか?
 夢前川を挟んで街道は延びています。
 かつては陸渡しといって、旅人が歩いて渡河していたようですが(江戸時代後期は船渡し)、現在は堤防があるので、近くの橋に迂回します。

青山の道標
寛政7年(1795年)建立
左 備前 金比羅 宮嶋 九州 往来

教専寺
 街道らしい風情の道をしばらく歩くと、再び国道2号線に合流。
 マックスバリュで小休止します。
 足が痛んでまいりました・・・

稲岡神社鳥居
 青山では、西国街道は一部宅地化で消失しておりました。
 国道を離れて静かな峠道を越えていきます。
 峠を越えると太子町の山田集落になります。
 明治18年に明治天皇が山陽道巡幸の際、休憩所となった場所に記念?が建てられていました。

山田休憩所

太子町のマンホール
 再び国道2号線と合流。上の池を見ながら国道に沿って右カーブ。
 ガソリンスタンドの裏を歩きつつ、やがて国道から再び離れて峠道に入ります。

桜井の水
播磨十水の一
と書いてありました。
(太子町文化財)
わき水でもあるのでしょうか?

大東亜戦争戦没者碑
 なんか足の裏がずきずきと痛み出しました。
 太田小学校の前で、御座候をいただきながら小休止して様子見です。
 もう少し、がんばって歩いてみることにしました。
 街道は再び国道2号線と合流します。

斑鳩寺灯籠
太子町は、法隆寺の寺領が
この地にあったことに由来する町名です。
 国道が右にカーブしていくところで、街道はまっすぐに続いていました。
 斑鳩寺の灯籠や、太子町役場の前を、街道はまっすぐ西に続いています。

阿宗神社

懐かしい感じのする火の見櫓
 街道はやがて林田川にぶつかります。
 ここも陸渡しだったようですが、堤防があるので、近くの橋に迂回です。

堤防上の影法師二つ

日が傾いて、空が色づいてきました。
誉鳩橋上から

林田川堤防
新幹線が走っていました。
 川を渡るとたつの市になります。
たつの市のマンホール
童謡「赤とんぼ」の作曲者にちなんで
赤とんぼのマンホール
市章が平成合併前の「龍野市」ですね。

庄屋彌右衛門翁顕彰?
 由来のよくわからない顕彰?を見つつ、街道を歩きます。
矢木醤油
龍野は醤油のまちでしたね

日が傾いてきました
 なんとか日没前にゴールしたいのですが、いかんせん足の裏の皮が破れているらしく、ペースが上がりません・・・
たつの市(旧 揖保川町)はそうめんの街

山陽本線を貨物列車がいきます
 街道は山陽本線にぶつかって右に折れます。
 どうも工場で街道が消滅しているようです。

朝渡った揖保川鉄橋が見えました。

日没直後の揖保川
 UCC上島珈琲兵庫工場の前を通り、揖保川大橋を渡ります。
 揖保川にはかつて渡しがありました。

揖保川鉄橋を渡るJRの電車

渡しの跡
 正條の渡し跡の碑がありました。
 堤防から降りて、龍野駅に向かって歩きます。
 郵便局前に道標がありました。
 

道標
暗くてよく分からないのですが、
右 ひめぢ かうべ
左 た津の(龍野)山さき(山崎)道
と書いてあるそうです。

正條宿本陣跡
明治天皇巡幸記念碑がありました。
 ここ正條と、近くの片島宿は、珍しい相合宿で、上りと下りをそれぞれの宿場が担当していました。
 西国大名は、近くの室津で船を下り、室津街道からここ正條まで来て山陽道に合流していたそうです。

本陣 井口家跡

たつの市(旧 揖保川町)の
マンホール
 足を引きずり引きずり、ようやく本日のゴール、竜野駅に到着しました。
 ホテルで足の裏を見たら、両足裏の皮がずるむけでした。
 よく歩けたなあ・・・

竜野駅到着
西国街道をゆく 続く
2023.5.21作成
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