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![]() 有年山城跡 |
有年宿を見下ろす大鷹山(201m)の山上には、有年山城がありました。 赤松円心の孫が居城としていたそうですが、播磨に進出した宇喜多方の城となってから廃城になったようです。 城山の中腹には有年八幡神社があり、川をゆく高瀬舟のために、灯台も築かれているようです。 |
![]() 有年八幡神社 延享元年(1744年)の鳥居 |
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この時は神社までいかず、街道を先に進みます。 小さな集落の中を進みます。 |
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![]() 有年家長屋門 |
立派な長屋門がありました。 文化年間(1804年〜)頃の長屋門です。 有年家は江戸時代、この辺りの大庄屋を務めました。 |
![]() 解説板 |
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![]() 光明寺 |
有年家屋敷の近くに、光明寺がありました。 街道は集落を抜けて田んぼの中へ。 れんげの花が咲いていました。 |
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![]() お地蔵さん |
街道は川を渡って西有年の集落へ。 この辺りは平安時代から鎌倉時代の住居跡が多数見つかっていて、鎌倉時代にはこの辺りが宿場だったのかもしれません。 |
![]() 解説板 |
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大避神社がありました。 秦河勝が祭神だそうです。 日露戦争の絵馬が奉納されているようですが、気がつきませんでした。残念。 |
![]() 大避神社 |
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神社で小休止し、先を急ぎます。 | ![]() 石造五輪塔 鎌倉時代末期から南北朝時代のもの |
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![]() 宝篋印塔 鎌倉時代末期から南北朝時代初期 |
![]() 西有年一里塚跡 |
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街道は長谷川を渡って続きます。 火の見櫓がありました。 |
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![]() 扉を閉めていざ旧道へ。 |
西国街道を進むと、フェンスで遮断されていまして、扉で封鎖されていました。 たまたま前を通りかかった地元の方に伺うと、現在は歩く人もなく、猪などの動物が里に下りてこないように柵で囲ってあるのだとか。 扉を閉めてくれたらいいよと言われ、旧道を進むことにしました。 |
![]() たまに軽トラックぐらいは通っているみたい。 |
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文永の役(元寇)の際、京都への第1報に10日かかった反省から、この街道が整備され、筑紫大路と呼ばれ、やがて近世山陽道になりました。 この街道ができたおかげで、弘安の役の時は、京都まで6日に短縮されたそうです。 |
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![]() なんか道が荒れてきた |
この道を岡山池田家を始めとした参勤交代の行列が進んでいたと思うと、胸熱ではあります。 で、なんで廃道に近い状態になったかというと、明治18年の明治大帝の巡幸の際、難所で会った有年峠越えに変わり、北側の鯰峠の道が整備されたことによります。 現在、国道2号線が通っている場所になります。 で、有年峠越えルートはご覧の状況って訳です。 さて、麓近くは石畳などがあって多少整備されていた痕跡はうかがえるのですが、近年の大型台風の影響もあり、峠のてっぺんに近づくほど道が荒れてきました。 鹿?の頭蓋骨なんかも落ちてて、なかなかの雰囲気です。 |
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![]() 倒木を越えます。 |
猪出ないかとびくびくしながら、ようやく峠を越えました。 峠を越えると、そこは上郡町です。 |
![]() 一応道案内っぽいものがありますが・・・ |
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![]() 人里が見えて一安心 |
ようやく里が見えて一安心です。 扉を開けて柵を出たところに解説板があり、時代とともに山陽道(西国街道)のルートが変化していっていることが説明されていました。 |
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![]() 上郡町マンホール |
さて、お昼ご飯に楽しみにしていた、「やぶ食堂」さんですが・・・ 休みでした。 空きっ腹を抱え、我々は先へと進みます・・・ |
![]() 解説板 |
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![]() 船坂神社 |
有年峠を下りてきた辺りは梨ヶ原というのですが、南北朝時代は宿場として栄えていて、商人が活躍していたそうです。 |
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![]() 現在の梨ヶ原 |
今は静かな集落です。 | ![]() 古い木材店 |
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![]() 明治天皇記念碑 |
明治大帝の行幸を記念した石碑が建てられていました。 | ![]() |
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![]() JR西日本の黄色い電車 |
集落を出て国道2号線と合流しますが、すぐに踏切を渡って旧道に入ります。 | ![]() 旧道 |
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先ほどの有年峠よりははるかに歩きやすいですが、廃道に近い雰囲気はありますね(笑) えっちらおっちら登っていくと、道に石碑がありました。 |
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![]() 岡山県との県境碑 和気郡三石町とあります。時代を感じますね。 東宮殿下(皇太子)行啓記念とあります。 大正天皇が皇太子時代のものだそうです。 |
岡山県との県境に建てられた石碑でした。 長かった兵庫県をようやく出て、岡山県(備前国)に入りました。 |
![]() 雲水井戸 この峠にあった茶屋の水源だそうで。 |
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![]() 船坂義挙の碑 |
元弘の乱で隠岐に流される後醍醐天皇を奪還すべく、備前の児島高徳がこの峠で待ち構えたが、後醍醐天皇はここを通らなかったので、失敗に終わったって碑です。 | ||
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もうすぐ電車の時間だったのですが、間に合いそうにないので、ゆっくりいくことにしました。 山陽本線の踏切を渡ります。 |
![]() 岡山方面 |
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![]() 姫路方面 |
山が途切れたところに、深谷瀧への道標がありました。 ちょっと見つけにくいかも? |
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![]() 深谷瀧への道 旧道でしょうか? |
ていじゅうろうバスのバス停がありました。 赤穂市や上郡町、備前市にまたがるコミュニティバスのようです。 定住してほしい、ってことらしいです。 |
![]() ゆらのすけバスがおしまい ていじゅうろうバス |
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![]() いかにも国鉄っぽい駅舎 |
三石駅に到着しました。 明治23年開業ですが、開業当時は兵庫県側にあったそうです。 明治24年に現在地に移りました。 |
![]() 国鉄っぽい窓口 現在は無人駅です。 |
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![]() ホームへの階段も国鉄っぽい |
電車は行ってしまった直後なので、40分ほど待ち合わせです。 誰もいないホームでひなたぼっこです。 |
![]() 駅標はJR |
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![]() これは岡山行き |
![]() やっと来た姫路行き〜 |
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![]() 姫路駅まで帰ってきました。 |
ようやく姫路駅まで帰ってきました。 | ![]() 姫路のご当地まんじゅう 「鶏卵饅頭」 カステラ生地に白あんがおいしいです。 |
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![]() 姫路のマッチ |
姫路名物買いました。 姫路では、国内シェアの80%を占めるほど、マッチ生産が盛んなんだそうです。 知らなかったです。 外国産に比べ、火が付きやすいような気がします。 今回の旅はこれまでです。 |
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![]() 今回のルート |
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西国街道をゆく つづく | |||
2024.10.27作成 | |||
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