岡山駅前のマンホール
 さて、前回の旅からわずか2週間後。
 転勤することになったので、休み取りにくくなることも想定して、街道旅に出ておくことにしました。

早朝の岡山駅

三石駅に向かいます。
 岡山駅前に宿泊し、電車で三石駅に移動します。
いつもの黄色い電車

三石駅着
 三石駅に到着。
 西国街道の旅を再開します。

保守用車両
 4月1日だったので、桜の花がちょうど満開でした。

山陽鉄道の遺構
 三石駅周辺は、旧山陽鉄道(山陽本線の前身)の旧蹟がいくつかあります。
 煉瓦のトンネルです。

見事な桜です。
 街道を右に曲がったところに、三石一里塚跡碑がありました。
 備前焼の窯用なのか、耐火煉瓦の会社がいくつかありました。
三石耐火煉瓦株式会社
映画「ゼロの焦点」ロケ地だそうです。
 今日はお休みなので、工場も静まりかえっています。
 かつては賑わっていたであろう、商店街も静かでした。

木野山神社
 三石集落の外れに、再び煉瓦のトンネルがありました。
 山陽鉄道によるトンネルです。
 日本は明治の昔から豊かだったのです。

土木学会推奨土木遺産です。

何の石碑だろう?
 山陽本線のトンネルを抜けると、街道は現国道2号線に合流します。
山ツツジも咲いてました

明治大帝の行幸を記念した石碑
 国道沿いの歩道をてくてく歩いていくと、石碑が建っていました。
ここで小休止したそうです。

一里塚がありました。
 八木山にあった一里塚跡と、そこで明治大帝が小休止されたことを記念する石碑でした。
 この辺りは、明治大帝の行幸に関する石碑が多いですね。

 閑谷神社と書かれた道標がありました。
ここから閑谷学校まで三十四丁
(約3.4km)
 街道沿いは春爛漫です。

武人之精華 陸軍歩兵軍曹高橋俊太郎君「石碑」

 
 一本松というところに、岡山藩主が利用した、藤ヶ棚の茶屋跡がありました。
お茶屋跡の碑

国道2号線
 一本松を過ぎると、再び国道2号線と合流します。
 国道の向いに、片上一里塚跡の石碑が建っていました。

新幹線の高架下

片上一里塚跡碑

天神宮
 国道2号線を横切る場所に、天神宮がありました。
 赤穂線の踏切を越えて坂を下ります。

赤穂線の踏切

街道
 の旧宅跡がありました。小説家らしいです。
父方の実家で育ったそうです。

片上宿
 片上は、西国街道の宿場でした。
 片上には港もあったので、物流の結節点として栄えたようです。
 宇佐八幡宮の狛犬は、備前焼ですが、かなり大きいサイズです。
 いくらしたんでしょうか?

備前焼の地元らしいお店

宇佐八幡宮

福井堂
明治4年創業だそうです。
奥に見えるのは、天満屋ハピーマート備前店跡
 街道沿いに、歴史ありそうな和菓子屋さんがありました。
 いくつか買ってみました。

天満屋跡は、片上宿脇本陣跡でもありました。

脇本陣跡近くに道標
左 大坂
右 恵美須?
 道標近くで、福井堂のお菓子をいただきました。
 なかなかおいしかったです。
 片上はかつて私鉄も走っているような栄えた街だったのですが、今は寂れてしまっていました。

醤油を使ったミルク餡饅頭

生カステラ

真光寺 三重の塔
 真光寺の三重の塔を見ながら峠を目指します。

明治39年の日露戦争遼陽会戦において22歳で戦死した中國九平氏の慰霊碑

街道沿いのお墓
左は岡山藩筆頭家老のお目見え医師だった、
前川哲蔵のお墓だそうです。
宇佐八幡宮に宇部焼(備前焼)の狛犬を奉納した方だそうです。
 片上と、備前焼の里で知られる宇部との間には、葛坂峠があります。
 この葛坂峠には、お夏という方が経営していた茶屋があり、その美貌から、「お夏茶屋」として有名だったそうです。

お夏の墓

葛坂峠
 葛坂峠を越えたところに、お夏茶屋の跡がありました。
 しかし江戸時代から100年以上たつのに、今だに美貌が語り継がれるとは、すごい人ですねえ・・・

お夏茶屋跡
西国街道をゆく つづく
2024.11.10作成
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