JR西日本の黄色い電車
(115系)
 2024年3月、西国街道の旅を続けるために西を目指します。
 JR西日本の黄色い電車と併走します。

岡山弁の看板みっけ
 岡山市内に入りました。
 宿にチェックイン後、翌日の行程を軽くするため、前回中断した上道駅に向かいます。

特急スーパーいなば
キハ187系
岡山〜上郡〜鳥取
 上道駅を下車し、岡山市内を目指して歩き出します。

羽原醤油店
 街道の途中で醤油蔵を見つけました。
 蔵の前には酒屋があり、自動販売機で醤油が販売されてました。

醤油のある自販機

石灯籠

総社八幡宮
 西国街道の宿場町、藤井に入りました。
黒住教藤井教会堂

間口の狭い町屋跡

藤井宿西本陣跡
 藤井宿の西本陣跡にやって来ました。
 地元の方の話では、近年まで本陣を営んでいた安井家の方が住まわれていたそうですが、今は無人なんだそうです。
 庭に大木があって、かつての栄華を偲ばせます。

本陣跡の庭に、明治天皇の
滞在を記念した碑がありました。

崩れかけた土塀ですが、
立派です。

塀越しに見る

素戔嗚尊神社
 素戔嗚尊神社手前に看板があり、ここを右に折れると新往来だそうです。
 幕末の長州征伐の際、諸藩の藩兵が岡山城下を通過することを嫌った岡山藩が、城下をバイパスする形で西国街道を付け替えた場所なんだそうです。
 藤井宿からは旧山陽道を踏襲しているのか、直線の街道が続きます。

忠魂碑
 土肥原陸軍大将書の忠魂碑がありました。
 土肥原大将は、岡山市東区出身で、陸軍諜報部門のトップとして満州国建国にも関わりましたが、戦後A級戦犯として処刑されています。
 この辺りが上道郡古都村の中心のようです。
 古都村は、昭和28年に西大寺町などと合併して最大時市となり、消滅しています。

古都村(こずそん)役場跡
人口は昭和25年で約2400人

滑り止めのゴム
 間もなく街道が山陽本線を横切ります。
 冬場は凍結するらしく、踏切に滑り止めが設置されていました。

山陽本線踏切

西大寺と長岡駅(現在の東岡山駅)を
示しています。
 東岡山駅に近づいていくと長岡郵便局があり、明治38年6月に建てられた道標がありました。
 この場所は西国街道と、西大寺と長岡駅を結ぶ街道の辻になります。
 旧道の1本西に新道が引かれていました。

東岡山駅への新道
 街道は相変わらず直線です。
 源吉兆庵の工場がありました。
 岡山の会社だったんですね。

和菓子で有名

古い商店
 昭和の古い商店跡を見ながらまっすぐ街道を進みます。

街道沿いの豆腐屋さん
 豆腐屋さんや、二宮尊徳像のある小学校を横目に見ながら街道を進みます。

桃太郎さんのマンホール
 旭川の放水路である百間川を渡ります。
 見晴らしいいですね〜

原尾島橋
 この辺りは古い町割が残っていました。
 旧宇野村だったところのようです。

水路に降りる石段
 水路が多いのが岡山の特徴ですね。

昭和の商家
 天正元年(1573年)に宇喜多直家が岡山城下町の入口として建てた惣門跡までやって来ました。
 ようやく岡山城下に到着です。

惣門跡
 京を出発してから足かけ4年。ようやく岡山城下にたどりついたかと思うと、感慨深いものがあります。
畳グッズをたくさん売っていた
畳屋さん

勲橋
 勲橋までやって来ました。
 御成川にかかるこの橋は、江戸時代は片上橋と呼ばれ、長さは22mあったそうです。
 旭川東岸の城下町を守る惣堀だったんでしょうか?

いさおはし
 橋のたもとには稲荷社がありました。
稲荷社
 橋の南側に弓道具のお店がありました。
 弓がたくさんありました。

コーポ中納言って・・・
 この辺りの町名は中納言町。
 アパートの名前も「コーポ中納言」という高尚なお名前です。(笑)
 町名の由来に二説あり、小早川秀秋(中納言)の屋敷があったからとも、大伴家持(中納言)にちなんだ「中納言」という焼き餅を売っていた店があったからとも言われています。

消火活動する桃太郎

廣榮堂本店
 街道が電車道と合流する角に、廣榮堂さんの本店がありました。
 きびだんごほか、和菓子で有名なお店です。

岡山電鐵
 むらすずめを食べながら歩きます。
 だいぶ日が傾いてきました。

中国銀行と岡山電鐵

小橋
 旭川にかかる三つの橋を渡ります。
 まずは小橋。

小橋から上流を見る。

中橋
 次に中橋。
 最後に京橋を渡ります。

京橋
 京橋の西側に迷子志る遍(まいごしるべ)が立っていました。
 三重県桑名でも見かけましたが、迷子が出たとき、「こんな子供を見かけませんでしたか?」という張り紙をするのが、「たつねる方」で、反対側に「こんな子を見かけましたよ」という張り紙をする場所があって、迷子が見つかるという仕組みです。

迷子志る遍
「たつねる方(尋ねる方)」とあります。
明治23年のもの
 岡山市の道路元標と、道標もありました。
藤井まで二里一丁五八間
とあります。
こちらは明治40年

雰囲気あります。
 「大手まんぢゅう」京橋本店がありました。
 早速買いました。
 ここから街道はアーケード街になります。

西大寺町

早水藤左衛門の解説板
 赤穂47士の一人、早水藤左衛門は、ここ西大寺町の出身だそうで、早水家に養子にはいって赤穂藩士となり、吉良邸討ち入りを迎えました。
 表町商店街は、かつで岡山一の繁華街でした。
 最近は岡山駅前の再開発が進んだため、ちょっと寂れてます。

昭和な商店街

古物商
 商店街は寂れてきていますが、それでもそれなりに見所はあります。
懐かしいな
 岡山が誇る百貨店、天満屋本店もここ、表町商店街にあります。

キムラヤ
 岡山のチェーン店、キムラヤさんがありました。
 パン屋さんですが、確か倉敷に工場直営店があり、ケーキバイキングなんかやってた記憶がありますが、今でもやってるのかな?

プテラノドン?
 かつて岡山城下の生活用水であった西川を渡ります。
 ちょうど日没で暗くなる前に、本日のゴールである岡山駅前に到着できました。
 3月でまだまだ寒かったので、岡山駅前にあるラーメン屋さんで晩ご飯にしました。
おいしゅうございました。
 廣榮堂さんと、キムラヤ、大手まんじゅうでかったお菓子を夜食にしました。
これは「明日のパン」です(笑)
 街道旅は明日が本番です。
西国街道をゆく 続く
2025.5.5作成
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