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![]() 街道はすぐに奉還町へ |
さて、翌日は快晴で底冷えのする朝でした。 岡山駅の西側をスタートして奉還町に到着します。 奉還町は、維新の際に支払われた奉還金(退職金)を元に、元武士たちがお店を構えたことから名前が付きました。 解説板によると、奉還金を元手に続いている商店が1店だけあると書いてましたが、今でも続いているんでしょうか・・・ |
![]() 横断歩道を渡ると奉還町 |
![]() 解説板 |
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朝が早すぎてお店はどこも開いていませんでした。 奉還町界隈を通過して国道を渡ります。 |
![]() アーケード街終了 |
![]() 京橋江ちか道 |
国道180号線を横断してすぐに、「京橋江ちか道」の道標がありました。 明治19年8月建立で、ここから岡山城下をバイパスして京橋に向かう道があったようです。 |
![]() 町屋が残ってます。 |
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間もなく国神社の前を通過します。 貞観2年(860年)創建だそうです。 本殿からは眺めが良さそうでしたが、先を急ぎます。 |
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昭和初期?っぽい洋館や、なんかよく分からない道標を見ながら街道を進みます。 | ![]() |
![]() 町屋を横から見る。 通りに面した部分が看板建築っぽいです。 |
この辺りもかつてはちょっとした商店街だったようですが、朝早いこともあって静まりかえってます。 | ![]() |
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国道180号線と合流し、街道は山側に枝分かれします。 この辺りは万成東町、西町で、小さい「おほくら橋」がありました。 昭和初期かな? |
![]() おほくら橋 |
![]() 万成坂西石仏・題目碑 |
万成山頂から移された北向八幡宮の入口がありました。 神社は南面に建てられることが多いため、北向八幡宮と呼ばれているそうです。 |
![]() 北向八幡宮入口 |
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この辺りは八坂茶屋と呼ばれ、賑わったそうで、解説板が建てられていました。 | ![]() 松尾芭蕉の歌碑 |
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街道は山の中腹を進みます。 | ![]() |
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やがて街道は山を下り、川を渡ります。 ここでまた国道180号線と合流します。 |
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国道を進むと、中川橋のたもとに板野酒造場がありました。 昭和9創業の日本酒蔵です。 |
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中川橋を渡ると、吉備津彦神社の看板がありました。 街道を外れて寄り道します。 |
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![]() 道路元標 |
吉備津彦神社の参道入口に、旧一宮村の道路元標がありました。 かつてはここに役場があったようです。 一宮村は昭和30年に市町村合併で一宮町になり、昭和46年に岡山市に編入されてます。 |
![]() 立派な石灯籠です。 |
![]() 吉備線の踏切を渡る |
参道は吉備線の踏切を渡ります。 | ![]() 吉備線 |
![]() 鳥居 |
大きな石鳥居が見えてきました。 さすがは備前一宮です。 主祭神は大吉備津彦命です。第7代孝霊天皇の皇子で、若日子建吉備津彦命と協力して吉備を平定したとされています。 |
![]() 狛犬さんも備前焼! |
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松が美しい境内でした。 本殿は元禄10年(1697年)岡山藩主池田綱政にるもの。拝殿は昭和5年に焼失し、昭和11年の再建だそうです。 |
![]() 拝殿と本殿 |
![]() 備前一宮駅 |
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![]() 是ヨリ東 備前國 |
備前・備中国境までやって来ました。 石碑が残っていました。 間もなく街道は国道を外れますが、すぐに一里塚の跡がありました。 |
![]() 昭和5年の石碑 |
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小腹が空いてきたので、キムラヤさんの福神漬サラダロール食べます。 間もなく大きな石鳥居と立派な参道が街道から分かれていました。 備中国一宮、吉備津神社への参道です。 |
![]() 街道横に大きな石鳥居と参道が |
![]() 大きな常夜灯 |
ここでも吉備線の踏切を越えて神社に向かいます。 ちょうど岡山行きの気動車がやって来ました。 岡山地区はいろんな車両が見られるので、鉄ちゃんは楽しいですね。 |
![]() 岡山行き |
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立派な松並木の参道の先に、吉備津神社がありました。 | ![]() |
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石段を登ると、吉備津宮の扁額のかかった拝殿がありました。 こちらの吉備津神社がもともとの吉備の総鎮守だったそうで、吉備津彦神社は吉備国が分割(備前・備中・備後)されたときに分霊されたものだそうです。 |
![]() 賊を平らげ民を安んじる でいいのかな? |
![]() 本殿と拝殿 明徳元年(1390年)足利義満が造営を開始し、応永32年(1425年)に遷座したそうです。 ものすごく古いですな。 |
岡山出身の政治家である犬飼毅(第29代内閣総理大臣)は、犬養家遠祖の犬飼健命が大吉備津彦命の随神であるとして、吉備津神社を崇敬していたそうで、揮毫した石碑がありました。 | ![]() 犬飼毅書 すでに歴史上の人物ですね・・・ |
![]() 手押しポンプ |
参拝を終えて街道まで戻り、再び西を目指します。 パン屋さんを見つけて、また買い食いです。 |
![]() パン屋さん発見 |
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板倉宿までやって来ました。 岡山を出て初めての宿場になります。 西国街道と松山往来の接点として栄え、江戸中期には本陣1、脇本陣1,旅籠が70軒と賑わったそうです。 |
![]() 解説板 |
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![]() 古い民家 |
![]() 立派な卯建です。 |
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![]() 大峰山に33回参った記念碑 ものすごい体力・・・ |
国道180号線との交差点隅に、道標がありました。 松山に八里、足守に二里とありました。 松山往来を南に行くと庭瀬城、北に行くと足守陣屋、備中松山城があります。 |
![]() 道標 |
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この辺りの西国街道は古代山陽道を踏襲しているのか、ひたすら直線です。 | ![]() 南無妙法蓮華経の石碑 |
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宿場を外れ、田んぼが広がりました。 | ![]() |
![]() 街道は右にまっすぐ伸びた方です。 |
倉敷市に入ります。 街道を進むと、足守川にぶつかります。 昔は渡しがあったようですが、今は少し下流の橋を渡ります。 |
![]() 足守川 |
![]() (南)金比羅・倉敷・庄・早島 (西)川辺・やかげ・そうぢゃ |
橋を渡って街道に戻ると、立派な道標がありました。 凝った道標で、指先でなく扇子の先で行き先を表示していました。 |
![]() (東)吉備津 大坂 岡山 |
![]() なんと扇子で道案内 |
金比羅往来との辻を通過すると、鯉喰神社がありました。 なんか、古墳の上にある神社だそうです。 |
![]() 鯉喰神社 |
![]() 新しい備前焼の狛犬 |
吉備津彦と戦った宇羅が鯉に姿を変えて逃げた際、吉備津彦は鵜に姿を変えて宇羅を捕食した故事にちなんだ神社だそうです。 社殿は元禄14年(1701年)だそうです。 歴史のある神社です。 |
![]() 古い狛犬 |
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![]() 社殿 |
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西国街道をゆく 続く | ||
2025.5.18作成 | ||
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