西江原は、幕末は御三卿の一つである一橋家の領地で、陣屋なども置かれていたそうで、城下町のように町屋があったそうです。
 街道沿いに立派な建物があったので、裏に回ってみました。

建物の裏が新道
 裏には新道があり、お店の入口がありました。
 今は酒造を止めて知り合いの蔵に製造委託しているそうですが、かつては「松の操」というお酒を造っていた、山陽酒造さんの建物でした。

山陽酒造

醪を搾る機械
 お店の方のご厚意で、蔵の中を見学させていただきました。
 醪を搾る機械や、宴会で使用されていたであろう漆塗りの膳や器があり、かつての賑わいを感じさせてくれました。

日芳橋
 見学のお礼を言って旅を再開します。
 小田川に架かるこの橋は、大正15年に完成したトラス橋で、現存するものとしては、岡山県最古のトラス橋なんだそうです。
 江戸時代、この橋の50m下流に木橋が架けられましたが、洪水で流出したため、架け替えられたそうです。

立派です。

昭和初期の看板
電話番号(市内局番)が「井原局」とあり、
交換手時代のものでしょう。
 橋を渡ると旧七日市市街に入ります。
 七日市は西国街道の宿場町として江戸時代から栄えていました。
 井原鉄道に先立ち、井笠鉄道が大正2年に笠岡〜井原間を開業し、七日市にも駅が置かれました。
 その時の駅への道標を発見しました。
 井笠鉄道本線は、国鉄が井原線を建設することになったため、競合を避けて昭和46年に廃業しています。

七日市停車場への道標
 宿場町とくれば本陣でしょう。
 七日市にも本陣がありました。
 七日市宿には時期不詳ながら、本陣1、脇本陣3、家100軒余り、旅籠が約80軒あったと記されており、かなり大きな宿場であったようです。

武速神社
 明治3年の鳥居が残る武速神社があります。
  長保3年(1001年)創建で、永徳2年(1382年)に現在地に遷座した神社で、祭神は素戔嗚尊、稲田姫だそうです。
 セブンイレブンでトイレ休憩の後、七日市を後にします。
 宿場の外れには岩山神社がありました。
  創建は6世紀頃
この辺りに屯倉が置かれたため、
吉備津神社の摂社である岩山神社の分霊を
お祀りしたそうです。

岩山神社
本殿は100段くらい石段を登るようです。
 街道の景色も農村ぽいものに変わりました。
 いい感じの民家が続く中に、下田部の一里塚跡がありました。
下田部の一里塚跡

立派なお屋敷
 立派なお屋敷が多いですね。
 豊かな地域だったんでしょうか?

八幡神社前

岡山元標
 小塚荒神社がありました。
 石鳥居は安永3年(1774年)
 石灯籠は文化2年(1805年)
 里標は明治14年のもので、岡山元標13里とあります。
 もう岡山から52km来たんですね。

小塚荒神社

舟夜燈
 舟の形をした石に乗った常夜灯がありました。
 珍しい形です。

日本昔話にでそうな農家

大曲の石仏
 間もなく、街道が意図的に曲げられた場所、その名も大曲にやって来ました。
 カーブにはいくつかの石仏がまとめて置かれていました。
 国道を横切ると今度は橋跡の碑に出会いました。
 区画整理前は川があって橋が架かっていたようです。

備中大橋跡
 街道は高屋川に出ます。
 川の土手には常夜灯があり、間もなく旧高屋町に入ります。

後月橋常夜灯
文化14年(1817年)のもの
 間もなく後月橋で高屋川を渡ります。
 ここから、西国街道の宿場町、高屋が始まります。
 江戸時代の高屋は福山藩領で、七日市宿よりは小さな宿場でした。
 ただ、町はなかなか見応えがあります。

宝泉院山門
いまグーグルアース見たら、
2025年6月現在で跡形もなかった・・・
 まずは常夜灯と山門がお出迎え。
 そこからまっすぐに続く宿場を見通せます。

旧山陽道らしい直線の街道

是ヨリ高山寺18丁
 高山寺道標の東側に、高屋宿の本陣があったようです。
 ちなみに最寄り駅が子守歌の里高屋駅である由来は、井原市出身の声楽家である上野耐久が、恩師の山田耕筰に母親が歌っていた子守歌を聴かせ、それを山田耕筰が編曲して「中国地方の子守歌」として発表したことにちなんでいるようです。
 写真ばかり撮っているので、中々前に進みません。
 東海道の関宿並といっては言い過ぎかもしれませんが、かなり雰囲気を残しています。

これは元銀行でしょうか?

昭和らしい医院の建物
 病院だったらしい建物には、「簡易保険指定醫」なんてホーロー看板がかかっていたりして。
 絶対戦前のものですよねえ。 

「簡易保険指定醫」なんてすごくないですか?

立派なむくり屋根
 いやいや、昭和の街並みを堪能させていただきました。
酢漿草の家紋入り瓦
 古い街並みがお好きな方は、ぜひ一度おいでください。
大棟にも装飾が
 楽しかった高屋宿も間もなく終わり。
金比羅さん常夜灯
 ついにやって来ました。
 備中と備後の国境、つまり岡山・広島県境です。
 京の羅生門から、はるばる歩いてようやく広島県までやって来ました。
 まだ、広島市街まで120kmあるんですけどね。(笑)

岡山橋本元標まで13里27丁(約55km)
廣島細工町元標まで30里28間(約120km)

律令時代の街道を踏襲していると
思われる直線
 真っ平ら、かつ、直線道路なので、国境って雰囲気はまったくないんですけどね。
 感慨にふけりながら広島市を目指します。

上御領八幡神社
元禄15年(1702年)の石鳥居が現存
 上御領八幡神社前を通過します。 
 祭神は応神天皇、神功皇后で、創建は不明だそうです。 
 祭神が祭神だし、旧山陽道に面している立地といい、奈良時代くらいからありそうな感じですよね。

寛政2年の石灯籠
 御領の一里塚跡までやって来ました。
 安芸の国に入って初めての一里塚になります。
西国街道をゆく 続く
2026.1.2作成
2024年ツーレポトップへ
Home